連載「救急医療24時。こんな患者さんがやってきた!」第5回

深夜、腹痛を訴える不妊治療中の若い女性が搬送されてきた。腹部のしこりはまさかの……

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「誰か先生、来てください! 子宮脱です!」

 しばらくして、再び患者が急激な腹痛を訴えだした。その時、ERナースが急に大声で叫んだ。

「誰か先生、来てください! 子宮脱です!」

 子宮脱とは、子宮が膣口より外に下降する状態だ。多産婦や老人などに起こるもので、若い女性ではまずありえない。そのありえないことが起こったのか? それとも別の何かが起こったのか?

 患者の周囲に、大勢の医師と看護師が一挙に駆けつけた。そこには想像を絶する光景が繰り広げられていた。最初は誰もがこの光景を理解できなかった。しかし、リーダー医師の一声ですぐに何が起こったのかが判明した。

「子供のお尻だ!」

 ERナースが叫んだ「子宮脱」とは、子供(新生児)の臀部(お尻)だったのである。つまり、目の前で出産が起こっているのだ。それも骨盤位(逆子)である。リーダー医師はすぐに当直の産婦人科医と小児科医を呼ぶよう指示し、目の前で起こっている出産に対応した。

 そこへ担当のERドクターが検査室から帰ってきて、「妊娠反応、プラスです!」と叫ぶ。何も知らない彼の顔を見たERナースが、「先生、これを見てください。お産ですよ!」と指差した。ERドクターは絶句した……。

 その後、当直の産婦人科医がERに降りてきて、出産は無事に完了した。新生児は女の子。1800gの未熟児だったため未熟児センター(NICU)に入院となった。出産を終えた母親は何が起こったのか全く理解ができていないようだ。わかることは痛みからやっと解放されたということ、それ以上のことは何も考えられない様子だ。

 思い直してみると、腹痛は陣痛であり、性器出血は破水であり、徐々に大きくなってきた腹部正中の腫瘤(しこり)は胎児だったのだ。エコーで確認できた小児頭大の腫瘤とは子宮内に残された胎児の頭部であり、そのものずばりだったことになる。頭部以外は子宮から降りていたため、胎児の全景が確認できなかったのだ。

妊娠・出産の意味を1年という時間ををかけてゆっくり納得していく

 すべてが終わった後、ERドクターは彼女の夫に説明するため家族待機場所へ向かった。ERドクターを見た夫は「どうですか?」と心配そうに駆け寄ってきた。ERドクターは夫に心の準備をしてほしいという気持ちからゆっくり話そうとした。

「奥さんはお腹が痛いということで、救急車で運ばれましたよねぇ」
「はい」
「実は、奥さんは妊娠していまして、奥さんの腹痛は陣痛だったのです」
「ハー?……」
「それで、先ほど女の子が無事生まれました。未熟児ですが元気です」
「誰の子供が生まれたのですか?」
「おそらく、あなたの子供だと思います」
「先生、私は○○の夫ですけど?」
「はい、わかっています。ですから、奥さんには子供が生まれたのです」
「ハー?……」

 夫の頭の中が完全にパニックになっていることが手に取るようにわかる。それがわかっていながら、彼を理解させる言葉が見つからない。「奥さんは妊娠していまして、腹痛は陣痛でした。出産は無事終わりました。生まれた女の子は元気です」。この事実を何度も何度も、手を変え品を変え説明した。

 そのうち夫からの質問はなくなり、呆然とした表情になった。妊娠・出産という事実と意味を、人は1年という時間ををかけてゆっくり納得していく。それを何分かで納得しろというのは、所詮無理なことだ。

 妊娠、陣痛、出産は、医師と妊婦の間に共通認識があるのが通常である。ところが、すべての救急患者を引き受けるERでは、本人が出産時まで妊娠を知らないような症例に年に何回か遭遇する。本人が妊娠を知らない理由はさまざまであるが、「不妊治療中」というのは初めての経験であった。

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河野寛幸(こうの・ひろゆき)

福岡記念病院救急科部長。一般社団法人・福岡博多トレーニングセンター理事長。
愛媛県生まれ、1986年、愛媛大学医学部医学科卒。日本救急医学会専門医、日本脳神経外科学会専門医、臨床研修指導医。医学部卒業後、最初の約10年間は脳神経外科医、その後の約20年間は救急医(ER型救急医)として勤務し、「ER型救急システム」を構築する。1990年代後半からはBLS・ACLS(心肺停止・呼吸停止・不整脈・急性冠症候群・脳卒中の初期診療)の救急医学教育にも従事。2011年に一般社団法人・福岡博多トレーニングセンターを設立し理事長として現在に至る。主な著書に、『ニッポンER』(海拓舎)、『心肺停止と不整脈』(日経BP)、『ERで役立つ救急症候学』(CBR)などがある。

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