医療従事者の患者への「同情(sympathy)」は禁物
ただし、医療従事者の場合、患者さんに対する同情(sympathy)は禁物でであり、共感(empathy)が重要になる。患者さんを自分の配偶者、恋人や子どものように感じてしまうと、冷静かつ客観的な判断ができなくなるからだ。適切な治療も望めないだろう。
外科医が肉親の手術をすることはまずない。医療従事者にとって必要なのは、相手の立場に立って考えること、相手の目線にあわせて見つめること、つまり共感(empathy)である。
ノンフィクション作家の柳田邦男氏が著書『この国の失敗の本質』で主張していた「2.5人称の視点」も、共感(empathy)とほぼ同じニュアンスといえる。大切な人である「あなた」と乾いた第三者である「彼・彼女」の中間的な視座が「2.5人称の視点」である。
医療従事者は、このような視点から患者さんに接しなければならない。柳田氏は、被害者、病者、社会的弱者の立場に寄り添い、その身になって考える職業倫理を身につけてほしいと私たちに訴えかける。
また、以前、アナウンサーだった故・絵門ゆう子さんの話を聞く機会があった。当時、エッセイストとして乳がん患者でありながらも元気に活躍していた彼女は、医学ではよく「ヒト」と記載するが、臨床医には「人」として患者に接してほしいと訴えていた。
この説得力あるメッセージの一方で、病理医には「第三者」の科学的な視点から「ヒト」として、淡々と冷静に説明をしてほしいともおっしゃっていた。病理医は、医療現場での第三者的立場をとりやすいことは事実だ。「病理医による病理診断の説明」が必要となるゆえんである。
ただし、患者同士が支え合う(ピア・サポート)の場では、ピア(仲間)が他の同病患者を支援するとき、「痛み」を我がものに感じ、同情し、一緒に涙する、「sympathy」が大きな支えとなる。また、仲間のために冷静に状況を分析し、アドバイスできる援助、「empathy」も必要だ。
今回のような大きな災害に見舞われた方々のことを思うとき、いかに寄り添い、声をかえるべきなのか、その難しさを痛感する。