連載「病理医があかす、知っておきたい“医療のウラ側”」第6回

「維新の父」吉田松陰が密航を失敗したのは、ある感染症が原因だった!?

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 歴史的に疥癬は、30年周期で大流行を繰り返してきた。当時は不運にも、ちょうど流行のサイクルにあった。歴史を変えた疥癬物語の一コマといえよう。ちなみに、60年後の1915年には「大正瘡」、90年後の1945年には終戦後の大流行が記録されている。1975年以降は、こうした周期性がなくなり、現在に至るまで流行が潜行し続けている。

 松陰と重輔は、地元・柿崎村の名主・平右衛門に自首し、下田で取り調べの後、江戸伝馬町の牢に入れられた。その後、萩の独房で1年2カ月を過ごす間に、松陰は492冊の書物を読み、囚人とともに学んだ。重輔は萩の獄中で病死する。

 出獄後に松陰が後を継いだ萩の「松下村塾」からは、明治維新で活躍する門下生・志士を輩出した。松陰は、大老・井伊直弼の命によって、安政6(1859)年10月27日、江戸伝馬町で30歳の若さで斬首刑に処せられる(安政の大獄)。4年後(文久3年)、門下生の高杉晋作、伊藤博文らによって世田谷若林に松陰神社が建てられた。松陰の墓は萩の東光寺にある。下田の柿崎三島神社境内には吉田松陰像が建っている。

連載「病理医があかす、知っておきたい“医療のウラ側”」バックナンバー

堤寛(つつみ・ゆたか)

つつみ病理相談所http://pathos223.com/所長。1976年、慶應義塾大学医学部卒、同大学大学院(病理系)修了。東海大学医学部に21年間在籍。2001〜2016年、藤田保健衛生大学医学部第一病理学教授。2017年4月~18年3月、はるひ呼吸器病院・病理診断科病理部長。「患者さんに顔のみえる病理医」をモットーに、病理の立場から積極的に情報を発信。患者会NPO法人ぴあサポートわかば会とともに、がん患者の自立を支援。趣味はオーボエ演奏。著書に『病理医があかす タチのいいがん』(双葉社)、『病院でもらう病気で死ぬな』(角川新書、電子書籍)『父たちの大東亜戦争』(幻冬舎ルネッサンス、電子書籍)、『完全病理学各論(全12巻)』(学際企画)、『患者さんに顔のみえる病理医からのメッセージ』(三恵社)『患者さんに顔のみえる病理医の独り言.メディカルエッセイ集①〜⑥』(三恵社、電子書籍)など。

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