『放課後ミッドナイターズ』(画像は公式HPより)
残暑が厳しい今年の夏。子供の頃、学校の理科室に行くと、なぜか涼しい感じがしたものだ。消毒液の臭いが病院を思い出させ、ふと夏の暑さを忘れさせたのだろうか?
そこで連想されるのは、歯医者で歯を抜かれるときの痛みへの恐怖か? あるいは予防接種の順番待ちの嫌な気分か? 学校に保管されていたフナやカエルや兜蟹などのホルマリン標本か?
自分の心の奥底に眠るメディカルなものへの不可思議な恐怖感――。それが消毒の臭いによって、理科室の薄暗い涼しい感じを想起させるのだ。それは妖怪や幽霊のような霊的世界の実態の知れぬ恐怖への身震いでなく、僕ら自身の体内に潜む生物としてのリアリティ、真っ赤な鮮血、ブヨブヨとした内臓、異臭さえも漂う生物器官であることから込み上げる戦慄なのだ。
そんなメディカルチックな納涼をお届けする夏の医学映画祭。さあ、イッみよう!
『海と毒薬』は手術現場のリアルな描写が見所
『海と毒薬』(監督:熊井啓、1986年)は、太平洋戦争末期に起こった九州大学生体解剖事件をフィクショナルに描き出した傑作で、戦争を考える映画としてもよく取り上げられる。
全編モノクロの作品中で最も白熱するのは生々しい手術シーン。「ガーゼ」「コッヘル(鉗子)」という医師の声に素早く反応する看護婦たち、血塗れのガーゼが無造作に手術室の床に投げ捨てられる。もちろん、それらはのちに水で流されて床は綺麗に洗浄されるのだが、そんな手術現場のリアルな描写がこの作品の見所である。
そして、アップになる手術患部の開胸部分、止まらない出血、いらだつ医師、ついには若い結核患者を死なせてしまう。その一方で、連日のように空襲が続き、もはや人間の生命の価値も揺らいでいる。そんな状況下で巻き起こる医師たちの権力闘争や軍部との癒着、数々の密約によって縛り合う医師や看護婦たちの特殊な連帯意識。
原作者の遠藤周作はクリスチャンで、(人間と神が向き合う)キリスト教的な神なき日本人が集団心理や現世利益で倫理観を失っていく姿を描いている。そして、ついに禁断の生体解剖実験が始まるのである。
重度の奇病に冒された畸形の悲しみを描いた『エレファントマン』
『エレファントマン』(監督:デヴィッド・リンチ、1980年)は全編モノクロで、近代医学の黎明期に重度の奇病に冒されて醜い姿となった男の悲しき運命を描いている。
エレファントマンことジョン・メリックは、見世物小屋にいたところを医師フレデリック・トリーブスに見出される。その畸形の身体は彼の母親が妊娠中に野生の象に襲われたことによると興行師は流暢に口上を述べる。
確かにメリックは顔面は変形し、胴体は激しく湾曲し、歩行も困難で、唇がめくれ上がっているためにシュルシュルと不気味な呼吸音をたてる。もちろん、言葉をしっかりと発音することもできない。医師トリーブスは、当初メリックは白痴であると思ったが、病院に収容して手厚く保護することでゆっくりと彼の心を開いていく。
最後には安らかに昇天することになるが、エレファントマンを通して描かれる19世紀の医学界、医者といわれるエリートと見世物小屋の興行師や観客たちといった下層階級のコントラストが鮮明である。
実在したジョゼフ・メリックをモデルとしており、近年の再調査で彼がプロテウス症候群という珍しい病気であったことがわかっている。彼の遺骨は、いまもロンドンのクイーン・メアリー大学医科歯科学部に保管されている。