約5300年前の人間のミイラ「アイスマン」(Iceman photoscanより)
オーストリアとイタリアの国境、チロリアン・アルプスに深々と広がる海抜約3200mのエッツタール渓谷。1991年9月19日、氷河で覆われた小渓谷をトレッキングしていたシモン夫妻は、氷水の中に褐色のミイラ化した死体を発見する。9月23日、死体はインスブルック大学の解剖学教室にただちに運ばれ、アイスマン研究が始まった。
炭素の放射性同位元素の測定から、56%の確率で死後約5300年
アイスマンは、エッツタ−ル渓谷にちなんで「エッツィ」とか、「ヒベルナトゥス」とも呼ばれる。
身長159 cm、体重40kg、年齢46歳、男性。関節炎、鞭虫の寄生、潰れた鼻骨、肋骨の骨折。散髪の跡、脊椎の下部、左足、右足首の皮膚に刺青のような短い青い線。ヤギ、カモシカ、鹿の毛皮でできた着衣の断片。樹皮で編んだ外套、毛皮の帽子、革製で草をつめた靴。木製の柄のついた小さい銅製の斧と火打石の短剣。イチイ製の長弓とガマズミ製の14本の矢を入れた毛皮の矢筒......。
アイスマンは何者か? 謎は、ますます深まった。
オーストリア・インスブルック大学のシュピンドラー博士らは、炭素の放射性同位元素の測定を行い、アイスマンの死亡年代を分析。56%の確率で紀元前3300年頃、死後約5300年が経過と発表した。
アイスマンのDNAは、ミュンヘン大学動物学教室のパ−ボ教授の研究室で、左殿部の組織(筋肉、結合組織、骨)と炭素の放射性同位元素を測定した組織から採取。PCR (ポリメラーゼ連鎖反応) 法を利用して、ミトコンドリアDNAの塩基配列を増幅・検出した。
PCR法は、微量のDNA断片からDNAのコピーが短時間で大量に得られる分析法。合成酵素連鎖反応ともいう。およそ5300年前に死亡と判定されたアイスマンのミトコンドリアDNAの塩基配列を、西欧世界の各地域住民のミトコンドリアDNAの塩基配列と比較し、アイスマンの人種を分析した。
アイスマンは、アルプス以北の北部ヨーロッパ人か?
分析の結果、アイスマンは北部ヨーロッパ人に近いことが分かった。ミトコンドリアDNAは、同一地方の同一民族内でも多数の型がある。その平均値を求めると、差が小さいのは、アルプス地方やアイスマンが発見されたエッツタール渓谷の住民と北部ヨーロッパ人と判明。アイスマンは、アルプス以北のヨーロッパ人、現在のドイツ人やオーストリア人につながる先住民と結論づけられた。
遺体は、5000年以上もいい状態で保存されていた。それは死亡時に体が柔らかい氷雪に覆われたため、極端な乾燥から免れ、ほどよく凍結していたからだ。遺体がたまたま岩の割れ目の中に入り、氷河による破壊から免れたことも幸いした。
アイスマンは、なぜエッツタール渓谷で死んだのか?
2000年9月、アイスマンは、南チロル考古学博物館で初めて完全解凍され、イタリア・カメリーノ大学考古人類学教室のロロ博士らは、腸内を剖検。小腸下部の回腸を切開して内容物を採取、肛門から大腸の内容物を回収して、DNA鑑定を行った。
さらに2012年2月、ドイツ・サーランド大学のケラー博士の研究チームは、一度に10億個前後のDNA断片を解析し、1000億塩基対以上の配列を調べられる次世代シーケンサーを用いて、アイスマンの左腸骨 (骨盤の一部) から採取したDNAを解析した。
これらの詳細な分析の結果、さまざまな事実が明らかになる。
腸内からヤギ肉と穀物が見つかり、アイスマンは羊飼いや狩人と推定された。また、毛髪から銅とヒ素を検出したため、銅の精錬業との関与も考えられた。
回腸と大腸の内容物からは、死亡直前の行動と食事内容を推測した。食物は、胃に入り2~3時間経過すると小腸に移り、4~5時間で大腸に移行後は、排便まで貯留される。アイスマンは、まずアルプス山麓の針葉樹林を通り、穀物類、植物類、アイベックス(高山にすむ野生ヤギ)の肉を食べた後、海抜3200メートルの高地へ行き、アカシカの肉と穀物類を食べた。その後、何者かに矢で射られ、食後6~8時間後に死亡している。
発見当初、アイスマンの死因は、寒さと飢えと推察された。だが、体内から発見された花粉は、死亡時期が春から初夏頃であることを示した。2001年のレントゲン撮影では、左肩から火打石製の矢尻を発見。3次元CTでスキャンすると、矢尻はアルプス南部と北部イタリアに特異な舌状形の石器で、アルプス北部の基部が平坦な矢尻とは異なっている。つまり、同族の仲間に背後から射られ、矢は肩甲骨を粉砕。近くの血管と神経を傷つけ、出血多量で死亡したと推測できる。アイスマンは、なぜ矢で射抜かれたのか? 同族内の何らかのトラブルに巻き込まれたのかもしれない。
DNA鑑定では、遺伝子型からアイスマンの容貌や健康状態も推測できる。ABO式血液型はO型。牛乳中のラクトースを消化できないため、おなかを壊しやすい。目の色は、青か褐色の可能性が高い。冠状動脈硬化による心疾患、高血圧のリスクが高いなどだ。アイスマンも、現代人と同じ悩みを抱えていたのかもしれない。
その他、ライム病の病原菌 (スピロヘータ) のゲノムとおよそ60%が一致した。ライム病は、ダニにかまれて起きる感染症で、皮膚の紅斑、発熱、筋肉痛、関節痛などの症状がある。アメリカ・コネチカット州ライムで発見された。アイスマンは、最も古いライム病患者になる。
1998年、アイスマンは、イタリア・ボルツァーノの南チロル考古学博物館に移った。温度マイナス6℃、湿度98%の特製冷凍庫で永眠している――。
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。