シリーズ「血液型による性格診断を信じるバカ」第4回

馬鹿な信仰〝 血液型性格論〟はこうして形成されてきた~戦後ブームを検証!

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第二次血液型ブームの終焉

 この第二次血液型ブームを沈静化するために働いたのがジャーナリストの森本毅郎だ。森本は妻がO型で自分はAB型だった。NHK入社の時の検査でAB型と告げられ、20年以上も「自分の性格はAB型にぴったしだ」と信じていた。

 ところがある日、中学生の娘から「私はO型だから、この家の子ではない」といわれ仰天する。そこで自分の血液型を再検査したらA型と判定された(森本毅郎:「血液型人間学のウソ」、日本実業出版社, 1985)。

 血液型の誤判定というのはマレだがある。また遺伝子の働き方が長い年月の間に変わることもある。ABO血液型に関与する遺伝子は、aとbでどちらもないのがoである。元の遺伝子型がabの場合、表現型は普通ABとなるが、初めはAまたはB型のみが表現され、後になって他方の遺伝子が活性化されることがきわめてマレにある。

 私の場合は高校時代(1950年代)の血液型はB型で、1992年にアフリカに調査に行く前にAB型に変わっているのが見つかった。つまりB→ABへの変換が起こったのである。もちろん性格はちっとも変わらない。このことは血液学の専門書には、いろんな変換例とその原因がちゃんと書いてある。

 「血液型人間学」なるもののウソに気がついた森本は、テレビ特別番組をつくり、まじめに問題視した。これが1980年代の中頃で、以後、能見説や鈴木説は急速に勢いを失い、第二次「血液型ブーム」は次第に終息に向かう。

 この時点では医学的にはもう「血液型と性格」については、決着が付いていたので、医学者は誰も相手にしなかった。しかし事ここに至っても日本の心理学者や心理学会は有効な批判を行わなかった。

 これが90年代に竹内久美子、2000年代の初めに藤田紘一郎というトンデモ学者がはびこる原因として残った。次回はABO式血液型物質の本体と「第三次血液型ブーム」の遠因となったこの二人のトンデモ学者を論じて、全体を締めくくりたい。

シリーズ「血液型による性格診断を信じるバカ」バックナンバー

※参考文献
能見正比古著
『血液型でわかる相性』(青春出版社、1971)
『血液型人間学』(サンケイ新聞出版局、1973)
『血液型エッセンス』(廣済堂文庫、1991)
鈴木芳正著
『B型人間:血液型による性格診断』(産心社、1973)
『血液型性格学』(産心書房、1974)
森本毅郎著
『血液型人間学のウソ』(日本実業出版社、1985)

難波紘二(なんば・こうじ)

広島大学名誉教授。1941年、広島市生まれ。広島大学医学部大学院博士課程修了。呉共済病院で臨床病理科初代科長として勤務。NIH国際奨学生に選ばれ、米国NIHCancerCenterの病理部に2年間留学し血液病理学を研鑽。広島大学総合科学部教授となり、倫理学、生命倫理学へも研究の幅を広げ、現在、広島大学名誉教授。自宅に「鹿鳴荘病理研究所」を設立。2006年に起こった病気腎移植問題では、容認派として発言し注目される。著書に『歴史のなかの性―性倫理の歴史(改訂版)』(渓水社、1994)、『生と死のおきて 生命倫理の基本問題を考える』(渓水社、2001)、『覚悟としての死生学』(文春新書、2004)、『誰がアレクサンドロスを殺したのか?』(岩波書店、2007)などがある。広島大学総合科学部101冊の本プロジェクト編『大学新入生に薦める101冊の本』(岩波書店、2005)では、編集代表を務めた。

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