学問から離れ「共感トリック」に走った能見
放送作家だった能見の本の特徴は、芸能人や文化人、政治家、スポーツ選手などとのコネクションを利用して、個人的に血液型データを聞き出し、ちょうどスポーツ新聞か芸能週刊誌のような語り口で、それら有名人の生活ぶりやエピソードを交えて、面白おかしく書き、「何でも、血液型のせい」と思い込ませる点にある。
美空ひばりや司馬遼太郎や石原慎太郎や王貞治の血液型を挙げ、その性格や運勢を論じているので、読者は自分の血液型がセレブのそれと一致していると知ると、思わず話に乗せられてしまう。これを心理学では「共感トリック」という。
古川竹二はABO式血液型と気質との相関を本気で信じ、それを証明しようとして自己矛盾に陥り、社会的に批判されて破滅した。その説を甦(よみがえ)らせた能見正比古は、古川の轍を踏まないように、厳密さが要求される学問の分野には立ち入らず、もっぱら面白おかしく血液型と性格、人間の相性の話を本として書きまくった。
能見はその後も、関連本を出版し、「血液型人間学」を広め、最後まで脳のシナプス回路を「ラジオの電気回路」とのアナロジーでとらえ、ABO式血液型物質が神経回路の特性を決めており、それが「性格」を規定すると主張しつづけた。
また能見は血液型がB型で「B型は糖尿病につよい」という説を唱えていて、糖尿病を診断され空腹時血糖が240mg/dlもあるのに、自覚症状がないのをよいことに、無治療で放置していた。1981年、講演中に心筋硬塞におそわれ、「心臓破裂」というまれな合併症を起こして急死した。
しかし、やがて「血液型・性格判定論は差別を生む」という社会的批判が起こり、それに直面して書いた遺著「血液型エッセンス」(廣済堂文庫)が息子の俊賢により1991年に出版された。巻末に「血液型十戒」が掲げてある。その第一条がなんと、「血液型で人の性格を決めつけてはいけない」である。20年以上も「血液型で人を決めつけた」本を売り、多額の印税を稼いだあげくにこの「十戒」だ…。能見本を買って信じた読者はコケにされたわけだ。