連載第16回 いつかは自分も……他人事ではない“男の介護”

遠く離れて暮らす老いた母、胃ろうで生きる姿に心がざわめく

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揺れ惑う介護で"深まる思い"もある Melpomene/PIXTA(ピクスタ)

 京都暮らしが40年以上になった私だが、故郷は鹿児島。そこに今年92歳になる母が特別養護老人ホームで暮らしている。要介護5、全介助で認知症も患っている。日本ケアラー連盟の定義でいえば、離れて暮らす私も「気遣いケアラー」の1人かもしれないが、2人の妹家族が母に寄り添いながら施設での暮らしを支えている。

きょうだいで揺れた母の介護

 

 父の死後、ひとりで生計を支えてきた母は、人一倍健康には留意し、何か異常があればすぐにも病院通いを欠かさなかった。同居していた下の妹が嫁ぎ、一人暮らしになって体調に変化が生じた。不安と孤独が高じたのか、70歳を過ぎて老人性うつ病を発症し薬が手放せなくなった。当時の母の手帳には物忘れがひどくなったことに怯える走り書きのメモがあった。

 その後、母は大腿骨骨折、脳梗塞と連続して病を患い入退院を繰り返すようになった。うつもさらに重篤化し薬の副作用にも悩まされた。2005年2月、入院中の病院で夜間徘徊があったらしく、階段で転倒して左膝を骨折。ギプスで固定されベッドで寝たきりの生活が1カ月ほど続いた。そして、本当に全介助の寝たきり状態となった。母の頻繁な訴えを一身に受け止めていた妹も、介護疲れで健康を害した。

 在宅介護の限界、施設入所の判断、施設選択。兄妹での相談は、いつも揺れつ戻りつのつらい思い出となった。

胃ろうに頼る母を見て心はざわめいた

 

 3年前、介護士の介助でやっと食事をとっていた母の食が、極端に細くなった。スプーン一杯分を口に入れるのも困難になった。食事をのどに引っ掛けひどく咳き込むことも頻繁になった。誤嚥性肺炎にもなった。

 施設やかかりつけ医からは胃ろうを勧められたが、少し躊躇した。それならと鼻管チューブからの栄養補給を施された。鼻管チューブの異物感が大きいのか、母は動かぬ手を管に持っていこうとしたり顔をゆがめたり。本人もそうだがそばに付き添う家族の気持ちも落ち着かなかった。

 それから程なくして医師と面談した。「お母様は心臓もしっかりしているので胃ろうが合っていると思いますよ」。不自由はあっても、体力も残り家族との意思疎通もまだまだ可能なことから、医師の判断を受け入れた。

 それ以降、見舞いのたびに3度の食事を胃ろうに頼らねばならない母を間近にする。そのたびに心がざわめく。故郷で母に寄り添っている妹たちにすれば私以上に毎日が葛藤に違いない。そう思えば、迷いを口にすることも心苦しくなる。「本当にこれでよかったのかな」。

介護者は煩悶しながら今日を生きる

 

 そんな折り、地元紙をめくっていると「母といる時間」という記事が目に留まった。著名な評論家・芹沢俊介さんによるものだ。見出しは「胃ろうで自らを生きる」とあった。後悔にも似た苦い感情にとらわれることもあるという。

でも、だ。母は胃ろうによって生かされている、この得難い幸いから目を背けることは、母を、ひいては人間を粗末に扱うことだ。芹沢さんはこの日のコラムをこう締めていた。

 ああ、みんなそうなんだ。ひとりじゃないんだ。介護でのいろいろな判断には、「これでよかったのだ」という解はない。葛藤のなかを、みんな煩悶しながら今日を生きている。揺れ惑うことで、より深まる思いもあるのだ。

連載「いつかは自分も......他人事ではない"男の介護"」バックナンバー

津止正敏(つどめ・まさとし)

立命館大学産業社会学部教授。1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学大学院社会学研究科修士課程修了。京都市社会福祉協議会に20年勤務(地域副支部長・ボランティア情報センター歴任)後、2001年より現職。専門は地域福祉論。「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」事務局長。著書『ケアメンを生きる--男性介護者100万人へのエール--』、主編著『男性介護者白書--家族介護者支援への提言--』『ボランティアの臨床社会学--あいまいさに潜む「未来」--』などがある。

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