『ちびまるこちゃん』の「お姉ちゃん」水谷優子さんが乳がんで逝去して1年(画像は同番組のHPより)
その急逝の報に触れてから、早くも1年が過ぎようとしている。
アニメファンや声優通でなければ、画面クレジットの「水谷優子」を目にしても、ご本人の顔や「ケロリン」という愛称を知る人はどれだけいただろうか。
しかし、それでも、『ちびまるこちゃん』(フジテレビ系アニメ)の「お姉ちゃん(さくらさきこ)の声優さんが亡くなった」という訃報には、あのくりくり目の笑顔が、クールなのに優しいあの声が、反射的に脳裏をかすめたような気がする。
「大瀧(詠一)さんは『作品が残ればいい。理想とする形は詠み人知らず』だったのです」
これは生前、大瀧さんと親交の深かった音楽評論家・萩原健太さんの言葉だ(大瀧さんは同番組のオープニング曲「うれしい予感」の作曲者でもある。作詞:さくらももこ、歌:渡辺満里奈)。どこか、声優という職業の矜持を代弁しているように思えなくもない。
だから故人の名前は知らずとも、「ディズニーのミニーマウスも彼女の声」「『エースをねらえ!2』の岡ひろみや『ブラックジャック』のピノコも」という注釈で、水谷優子の何たるかを受け止めた方々がいたとしても、それは声優冥利というものだろう。
水谷優子さん、享年51。1964年11月4日生まれ、愛知県海部出身の声優・女優・ナレーター・歌手。
85年、『機動戦士Zガンダム』の飛行場アナウンサー役で声優デビュー。90年1月7日OAの『ちびまるこちゃん』の初回から四半世紀以上、まるこのお姉ちゃん役として活躍し、彼女の代表作として人々の記憶に刻まれた。
ぎりぎりまで仕事して去った声優魂
その水谷さんの急逝が報じられたのが今から1年前の5月中旬(2017年5月17日没)。死因は「乳がん」だった。水谷さんは2014年に乳がんの摘出手術を受けていたが、それから2年後、病魔に倒された。
最期の5月、水谷さんは「仕事をぎりぎりまでやること」を条件に入院を承諾したという。友人にも仕事場でも病名を明かさず、彼女が限界ぎりぎりの最終仕事として臨んだのが、4月22日アフレコの『お姉ちゃんと写生大会に行く』『友蔵、まる子を叱りたい』の2本分だった。
12歳年下で愛妻に先立たれた、夫の西久保瑞穂さん(アニメーション作家)によれば、
「『仕事に行きたい』が最期の言葉になってしまいました。(略)逆に言うと、亡くなる2週間前まで仕事をしていたわけですからね。僕なんかより全速力で突っ走って……、本人としては満足しているのではないでしょうか」(『女性自身』の取材に応えて)
水谷さんを知る多くの人々が「可愛らしい(癒し)声」とは「裏腹」の「内面はとても熱い人だった」という人柄を異口同音で述懐している。役柄に入り過ぎるあまり、アフレコ中につい体を動かしてしまってはNGを連発。ゆえに「アクション声優」の異名で呼ばれていたそうだ。
前出の瑞穂さんとの出逢いも、彼の監督作品『赤い光弾ジリオン』や『天空戦記シュラト』の声優を担当したのが縁というから、短くも濃密な声優人生だったと言えるだろう。