ケネディのなぞ解明はまだまだ続く?(depositphotos.com)
1961年1月、ジョン・F・ケネディは、史上最年少の43歳で第35代米国大統領に就任。2年10カ月後の1963年11月22日午後1時30分頃(日本時間23日午前3時30分頃)、テキサス州ダラス市エルム通りで凶弾に倒れた(46歳)。
女優マリリン・モンローなど、数々の女性スキャンダルにもまみれたケネディは、生涯にわたり慢性の背部痛に蝕まれ、長い闘病生活を続けていたとする悲痛な報告書が『Journal of Neurosurgery: Spine』7月11日オンライン版に掲載された。
スポーツと戦争で負傷後に夥しい治療歴
当時のカルテ記録などを精査して報告書にまとめた米ホットスプリングス神経外科クリニックのJustinDowdy氏らは、「ケネディは、多くの著名な外科医や内科医の治療を受けた。当時のX線の画像技術は、さほど進歩していなかったものの、選択し得る最良の治療が施されただろう」と強調する。
報告書によると、ケネディの背部痛は、ハーバード大学時代の1937年(20歳)頃に受けたフットボールによる負傷が原因とされる。
その後、第二次世界大戦中に配属された魚雷艇が日本の駆逐艦と衝突。ケネディは、重傷者のライフジャケットの紐をくわえたまま近くの島まで5時間も泳いだ。この救出劇の1年後、症状が悪化したため、初回の脊椎手術を受けたが、完治しなかった。
背部痛は暗殺された日もケネディを苦しませたのだろうか?
ケネディは、背中を支えるコルセットを装着していた。第1弾の直後、身体がコルセットで強く固定されていたため、上体が起きた状態のまま、2弾目を頭部に被弾したと推定する専門家もいる。
ケネディの治療歴は夥しい。椎間板切除と脊椎固定で2回、手術の合併症の治療で2回、計4回の重篤な手術を皮切りに、局所麻酔のトリガーポイント(押すと強く痛む圧痛点)注射、メタンフェタミン(覚せい剤)注射のほか、運動療法、マッサージ療法、温熱療法などの非外科的な代替治療にも手を染めた。
Dowdy氏らは「ケネディが抱えていた背部の慢性疼痛は複数の要因が絡まっている可能性が高いので、どの治療も良い結果をもたらさなかった。だが、最新のMRIやCTなどの画像技術を駆使してさえも、背部の慢性疼痛が脊椎外科医を迷わせる難病である現実は何ら変わらない」と背部痛の確定診断・治療の困難さを説明する。