ドイツの精神神経病学者カール・ウェルニッケは失語症と脳症の解明に尽力した脳神経学のパイオニア(depositphotos.com)
今回の脳科学物語の主人公はドイツの精神神経病学者カール・ウェルニッケ。「失語症」と「脳症」、この2つの難病の解明に苦闘しつつ、至福の生涯を送った希代の碩学者だ。
1848年、ウェルニッケはプロシアのシレジアに生誕。父は鉱山会社の社長秘書だったが、母や妹の闘病や折からの政情不穏のため、家計は苦しい。だが、独学苦学の末、ブレスラウ大学医学部に入学。研究の傍ら、眼科医助手の働き口も見つけ、家族を懸命に支える。
23歳の1871年、心機一転、ウイーンに転居。アルツハイマー病患者が犯される「マイネルトの基底核」の発見者セオドラ・マイネルトに師事し、神経解剖学をひたすら探求。26歳の1874年、そのひた向きな研究姿勢は、「ウェルニッケ失語症」の大発見につながる。
発声できるが言葉を理解できない「ウェルニッケ失語症」
1861年にブローカ脳の研究で知られるフランスの外科医ポール・ブローカは、「失語症の原因は運動性言語中枢である」とすでに公言していたが、その13年後の1874年、ウェルニッケは、病理解剖の経験から「感覚性言語中枢の障害も失語症の原因になる」と反論したため、脳神経学会や脳外科学会に物議を醸した。
「運動性言語中枢は前頭葉にあるが、左大脳半球の上側頭回後部(ウェルニッケ野)に障害がある失語症の患者もある。その患者は、発声できるものの、聴覚に入った言語を理解できない。この失語症は、左上側頭回後方の軟化によって起きる感覚性言語中枢の障害である」
ウェルニッケの論証は明解だった。その後、ウェルニッケ失語症の病名が受け入れられた。
ウェルニッケは、恩師マイネルトの薫陶を守り、精神反射弓の理論(感覚→精神内界→運動)を深く研究。精神病や精神神経疾患は脳病であるという器質論者の立場を貫き、失語症の分類図式(ウェルニッケ=リヒトハイムの図式)を後世に残した。
ウェルニッケ失語症の原因は、脳腫瘍、頭部外傷、脳卒中、脳梗塞などの大脳の局在性の病変・損傷だ。つまり、大脳の言語機能を司るウェルニッケ野に障害が生じると、聴覚理解障害、復唱障害、呼称障害、音読障害、書字障害のほか、言い間違い(錯語)や意味不明な新造語(ジャーゴン)の作話などの症状を伴う。急性期では多弁で発話は流暢だが、障害の自覚に乏しい患者も少なくない。運動麻痺は合併しないとされる。