障害者のタブーに踏み込む『バリバラ』(画像は番組公式HPより)
日本じゅうが熱くなったオリンピックが幕を閉じ、いよいよ、リオデジャネイロパラリンピックがスタートする。
さまざまな障害を乗り越えた世界中のアスリートたちによる、感動のドラマが繰り広げられるのだ。まてよ。「障害者」「感動」、どこかで聞いたキーワードだ。
そう、8月28日、『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)のクライマックスの最中、『バリバラ』(NHK Eテレ)では「検証! 『障害者×感動』の方程式」を生放映して話題を呼んだ。
それでも『24時間テレビ』に出たい!
同番組では、メディアが障害者をどのようにして感動的に作り上げてきたのかを、過去のNHKの番組を通して検証した。
戦後、障害者は「不幸でかわいそう」と位置づけられ、健常者より下に見られていたが、1981年の国際障害者年で大きく注目された。だが、その表現方法は、<障害があっても頑張る>という姿ばかり。
ここで「不幸でかわいそう」×「けなげにがんばる」=「感動」という方程式ができあがったのだという。
そして、30年以上前にできあがったイメージをいまだに引き継いでいるというわけだ。そして、28日の『バリバラ』では、それを<感動ポルノ>と切って捨てた。
ところが、上から目線で一方的に押し付けられる「感動」に障害者自身は辟易しているとしながらも、バリバラでは、出演者一同が「24時間テレビからの出演オファーが来たら受ける」と答えるシーンもあった。
生放映中にはひと言も発さず、謎のカッパ(?)として登場した、寝たきり芸人の「あそどっぐ」さんも、こう言う。
「24時間テレビの関係者の皆さーん、来年こそは出演オファーお待ちしています。できれば、思わず笑っちゃうバカバカしい企画で呼んでいただければ!」
『バリバラ』の中で体を張り、<「お笑い」と「感動」のどちらがより多く募金が集められるか>を検証した、あそどっぐさんでさえ、訴求力を無視しているわけではないのだ。
障害者の出演には<必然性>が求められる
『24時間テレビ』の<愛は地球を救う>に対抗し、<笑いは地球を救う>と書かれた黄色いTシャツを身につけた『バリバラ』出演者たちのタブーに切り込む姿には、ネット上でも喝采が起きた。
だが一方で、「障害者は『感動』か『笑い』のどちらかしかないのか」という声もある。普通に生きていくことさえ大変なのに、そんなに頑張れるか、というわけだ。
メディアには、<普通に生活している障害者>を取り上げても、高視聴率は望めないという事情がある。放送作家の鈴木おさむさんは、28日の『バリバラ』生出演で、障害者をドラマ出演させたところ、放映後に多くの批判を受けたという経験を語った。
鈴木さんは、主人公の友人として車椅子の障害者を当たり前のように登場させたのだ。そこには特に感動すべきエピソードもなく、ひとりのキャストとして。
批判の声は、「なんの意味もなく車椅子?」「車椅子の人を出すならもっと意味を持たせるべき」……。つまり、障害者が登場するならば、その必然性がストーリー上に求められる。
障害者が存在する風景は、<日常的ではない>と感じている人がいかに多いことか。いまだに、障害者はさまざまなシーンから隔離され、健常者の目の届かないところでひっそりと生活しているのが、世間一般の趨勢なのだろう。