「遺伝子操作」を科学的に評価し社会の発展へ
科学は進み、これまでは想像さえできなかったことが可能となってきた。日本ではこのような議論を始めると、必ずと言っていいほど、「病気やハンディキャップを持った子供を差別するのか」といった感情論が沸き起こり、冷静に議論することができなくなる。
「五体満足な子供が生まれて欲しい」という親として当然な願いが、一部の人に「障がい児を差別するのか!」と非難の対象となる。期待できる可能性、起こるかもしれない危険性、まずは、科学的・技術的課題な議論をすべきだ。
そして、研究の結果を社会として受け入れることができるのか、人の道に反するのか、病気で苦しんでいる人たちのことを思いつつ、また、将来の日本という国を見据えて話し合って欲しいと思う。
「幸せ」という価値観は個人個人で異なるし、法に反しない限り、異なる価値観のもとに異なる選択肢をする自由は認められているはずだ。「ゲノム編集」という名の「遺伝子操作」を科学的に評価し、それを社会の発展につなげていくことは重要だと思う。
日本で研究を縛っても、海外で研究が進み、画期的な治療法が生まれればどうするのか、食糧危機を乗り越える画期的な動植物改変が行われればどうするのか、世界の一員としてしっかりとした国家としての方策を立てるべきではないのか?
※『中村祐輔のシカゴ便り』(http://yusukenakamura.hatenablog.com/)2016/0228 より転載