日米両国において、医療費の高騰は一過性のものではなく、継続的なものだ。
日本の場合は、高齢化、医療技術の進歩、薬剤費の高騰などが医療費を押し上げる要因となっている。消費税を10%にしても問題解決を先送りにしかならず、やがて医療費を含む社会保障関係費を賄うために、消費税を20%や30%にしようという議論にならざるを得ないだろう。
アメリカでは2010年3月に「患者保護と妥当な医療に関する法律」、通称オバマケアが発効され、2009年の時点で5000万人を超えていた医療保険に加入していない人たちの数を減らそうとした。オバマケアでは、国民に保険加入を義務付けると同時に、一定所得以下の人が保険を購入する際には、政府が補助金を提供している。アメリカ議会予算局は、オバマケア改革を実施するために、2010~2019年度、9380億ドルの支出が必要だと試算。いったいアメリカ政府は、民間医療保険を購入できない低所得者に、いつまで補助金を出し続けることができるのか。
日米両国の医療費高騰の原因
国民皆保険制度の日本の解決策を考えてみよう。
それは「保険の原点に回帰する」ことに尽きるのではなかろうか。1920年代、日本で最初の健康保険が導入された当時の基本的な考え方は、健康な時も毎月一定の掛け金を支払い、お金をプールすることにより、いざ病気やケガの際でも一時に多額の現金を用意する必要がないようにすることだった。政府の役割は事務経費を補助するに過ぎなかったのだ。
「万が一のことを考えて仲間でお金をプールする」ことと、「政府に依存する」ことは質的に異なる。
前者は保険の考え方に基づくものであり、病気やケガで一時的にプールしたお金を使った場合には、後日、それを返済する必要がある。つまり、毎月の保険金を高くしたり、使ったお金を分割で返済したりすることで、もともとプールされていた金額に戻す必要がある。そうすることで、別の人が病気やケガの際に、そのプールされたお金から一時的にお金を引き出せる。自立した人の間での助け合いこそ、保険の根本的思想だ。
「政府に依存する」というのは、税金を使うということ。「自分の物は自分の物、他人の物も自分の物」と考える人が多ければ、他人が払った税金で自分の病気やケガを治そうという発想になる。それを権利と称して政府に医療費への国庫負担増額を要求しているのだ。市民としての自尊心・自立心を棄て、公益を高めるという市民としての徳を忘れ、「権利」の追及に邁進する姿には悲哀を感じる。
権利を主張しあう社会から、政府に依存しない、市民としての自尊心と公益心を高める意識改革、そしてそれを前提とした制度改革こそ、医療費抑制の解決策でしょう。