手足が震える、筋肉がこわばる、動作が遅くなる、歩きづらくなるなどの諸症状があるパーキンソン病。1817年、病態を初めて報告したイギリス人のジェームズ・パーキンソン医師の名にちなむ。パーキンソン病は、脳幹に属する中脳の黒質(こくしつ)と大脳の大脳基底核(だいのうきていかく)にある線条体(せんじょうたい)に異常を来して発症する。黒質に異常が起きると、正常な神経細胞が減少するため、神経伝達物質のドーパミンの量が低下し、黒質から線条体への情報伝達経路が阻害される。その結果、姿勢の維持や運動の速度調節がコントロールできにくくなるので、震え、こわばり、動作や姿勢の障害につながる。便秘、排尿障害、立ちくらみ、発汗異常などの自律神経症状やうつ症状を伴う場合も少なくない。
1942年頃から、手の震え、痙攣、腸の痛みなどに悩んでいたというヒトラーは、パーキンソン病だったのか? 1年あまり続いた総統官邸の地下壕での生活は、疲労やストレスなどによる手の震え、足の引きずり、胃腸痙攣、偏頭痛などに追い打ちをかけたのか? 当時は治療法がなかったものの、主治医モレルは、ヒトラーの病状をパーキンソン病と診断していなかったフシがある。
モレルは、ヒトラーが潰瘍を患っていたため、大量の薬や注射を処方する。覚醒剤のメタンフェタミンやコカインもあった。メタンフェタミンは、ドーパミンと似た神経系に強く作用する。秘書ユンゲの著作にも描かれているように、気力を失いつつあったヒトラーは、メタンフェタミンやコカインの注射で蘇り、症状を改善する兆しも見えていたのかもしれない。
ただ、保続(ほぞく)の症状もあったと伝わる。保続とは、同じ言葉や行動を何度も繰り返すパーキンソン病によく現れる現象だ。同じ作戦に固執する傾向、途中から方針が変えられない融通の悪さ、誇大妄想的な強い興奮状態などは、メタンフェタミンの覚醒剤依存が引き金になった可能性も否めない。
晩年のヒトラーは、健康を害し、判断力は衰えていた。だが、狂っていたのだろうか? 自己崩壊と破滅の美学に酔い痴れていたのだろうか? 18世紀の偉大な啓蒙君主、フリードリヒ大王を尊敬していたヒトラー。「フリードリヒ大王に比べたら私なんか、ただのクズだ」。死体は確認されていない。死の瞬間を目撃した人はいない。証言できる人は生存しない。ヒトラーとエバの死は永遠の謎に包まれたままだ。
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。