この悪循環を断ち切るのが、萬田医師のような在宅緩和ケア医だ。緩和ケアは、死に直面した患者や家族の心身の痛みを予防したり、和らげたりする終末期の療法だ。がんの患者と家族に発病の早期から関わり、あらゆる身体の苦痛、心の不安、生活上の問題の解決に取り組む。単に身体症状の維持・改善に必要な医療や介護だけでなく、心のケアも同時に取り入れ、その人らしい生活を総合的に維持・改善しながら、患者のQOL(生活の質)やADL(日常生活動作)を全人的に支援する。それが緩和ケアの目的だ。
萬田医師は、著書『穏やかな死に医療はいらない』(朝日新書)で、「まず、病院で闘病している患者に帰宅してもらう。最期は自宅で迎えたいと願っている患者に、がん治療はいらない。治療を諦めるのではなく、治療をやめて自分らしく生きてほしい! それが私のモットー」と書き記す。
患者にとって病院はいわばアウェー、自宅はホーム。医療環境は劣っても、自宅は心身ともにリラックスできる。「70歳の患者で7割、80歳で8割、90歳で9割と、高齢になるにつれて自宅で過ごしたいと願っている。もう、つらい治療を続けなくてもいいんだよ。頑張らなくていいんだよと家族が思えば、家族の嘆願→治療の継続→患者の疲弊という悪循環をストップできる」と続ける。しかし、家族も納得し、患者本人も苦痛ばかりの治療をやめて、帰宅したいと望んでいるのに、実現できない場合もある。
なぜなら、退院を許可したくない医師が多いからだ。萬田医師は、帰宅したいという患者の切望を叶えるために、家族の要請を受けて、病院の主治医に退院の段取りを交渉することもある。
がんが脳に転移して意識が混濁、余命1週間と宣告され、転落防止のためにベッドに縛り付けられていた男性がいた。「家に帰りたいですか? 」と聞くと、その男性ははっきりと「あんたら、助けに来てくれたんか? 水をたっぷり飲みてえ~。なんで縛られてんだか、わかんねえ~。ゆっくり風呂に入りて~」と嘆いた。
しかし、直接交渉した主治医はあくまで首を横に振りながら、「こんな状態では退院させられない。まだ治療が必要だ」という。萬田医師は、この医師に嫌われてもいい、悪評を立てられても構わないと決心し、強い口調で抗弁した。「治療を続ければ亡くならないのですか? あと何日命が延びるのですか? 本人やご家族は退院を希望しているんですよ!」と。
主治医はしぶしぶ退院の許可を出した。患者は自宅に戻り、点滴も尿カテーテルも取り払った。晩酌も楽しみ、4回目の訪問入浴の後、家族に見守られて静かに眠りについた。退院から約2週間後だった。
「家族が患者のつらさを慮れば、延命治療の悪循環は断ち切れるはず。医師の意識改革が必要だ。この10年間で緩和ケアの外来や病棟を創設した病院が増えた。各科の垣根を取り払った緩和ケアチームをつくる動きも活発化している。だが、まだまだこれからだ。医師たちは頭では分かっている。自分や自分の家族には施したくないつらい治療を知っている。病院が意識改革に本腰を入れれば、強力な緩和ケアチームをつくれるはずだ」。緩和ケアこそが、かん患者の終末を明るくコーディネイトできる最善のターミナルケアだ。萬田医師の確信は揺るがない。
萬田緑平:緩和ケア診療所「いっぽ」医師
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学附属病院第一外科に所属。2008年、緩和ケア診療所「いっぽ」の医師となる。
(文=編集部)