終末期には宗教の宗派は関係ない
実際の終末期医療の現場で、僧侶はどのように緩和ケア医療に関わるか――。今年2月、僧侶や医師たちが中心となり、患者が直面する生死の苦悩に対応し、患者に寄り添うことを目的とした「西本願寺医師の会」が発足した。
その発足にあたって、同会の事務局が先行例として存知していた病院がある。1999年から終末期の緩和ケア病棟に僧侶を常駐させている、新潟県長岡市の長岡西病院だ。同病院では、末期がんや余命を宣告された患者の肉体的・精神的苦痛を緩和するための医療機関「ビハーラ病棟」を設置し、僧侶が患者の心のケアにあたっている。
ビハーラとは、古代インド語のサンスクリット語で「休養の場所、気晴らしすること、僧院」などの意味がある。1985年に佛教大社会事業研究所に所属していた田宮仁氏が、仏教を背景とするターミナルケア施設を「ビハーラ」と命名することを提唱したのが、名称の由来だ。
医者と僧侶が患者に寄り添う緩和ケア
「緩和ケア病棟には平均26~28人の患者さんがいます。口コミで広がり、長岡市周辺だけでなく東京で一人暮らしをしていたものの地元に戻ってきた方や、親族が東京近郊にいる方など、地域と縁がありながら遠方に住んでいた方が入院することが多いです」と語るのは板野武司・緩和ケア部長。
麻酔科医だった板野部長が長岡西病院に赴任してきたのは、今から14年前。赴任の6年前に父親が直腸がんで他界したことがきっかけで、ホスピスの役割の重要性を知ったという。
「開設当初、僧侶が院内にいると『不吉』、『縁起でもない』という声も聞かれましたが、現在では、僧侶たちの長年にわたる地道な活動のおかげで、僧衣を着けたままで正面玄関から出入りすることも、自然に受け入れられるようになりました」
試行錯誤を繰り返しながら、医者と僧侶が患者に寄り添う緩和ケアが成功している秘訣は何か?
「医師や看護師、薬剤師ら医療スタッフと僧侶が、それぞれ協力し合い、患者さん一人一人の人格を尊重して、『最後まで生き抜く』ためにできるだけのことを行っています。8年前から常駐している僧侶の森田敬史さんを中心に、まず患者さんの話を聴きます。一方的に病室にやってきて、積極的に仏教の教えを説くことはないですね」
森田さんが患者から求められたと感じた時に、仏教的な考え方で接する。患者さんと宗派が違う場合、森田さんが窓口となって、患者が望む宗派の僧侶を探す。
「森田さんは、『患者さんの痛みや苦痛を代わって受けることができず、気の利いたことは何も言えない、ただ心の訴えを聴くことしかできない』と言っています。患者さんから『死にたい』という言葉が出ると、そこに生き様が出てくることがあり、森田さんは体をさすったり、手を握ったりする。すると患者さんがすごく安心した顔になる。それがとても嬉しいのだそうです」
患者が医者や看護師には言えないことも
今年1月24日にNHKで放映された「おはよう日本」(首都圏)では、担当医から92歳の末期がん女性のケアにあたって欲しいと依頼された森田さんが、病室を訪ねる光景が映し出された。森田さんは、まず何気ない言葉から、患者の心をほぐしていく。
「よく眠れていますか?」
「はい眠れました」
「最近はお困りになることはないですか?」
「特別なことはありません」
その後の会話のやりとりから、患者さんがだんだんと森田さんに心を許していくようになり、医者や看護師には言えないことを口にする。
「こんなに大事にしてくださって、もう思い残すことはありません」
「いつお迎えにこられても大丈夫ですか?」
「はい、待っています」
「では、一緒に待ちましょうか、お迎えにこられるのを」
「はい」
「間もなくこられるかもしれませんし、少し長くなるかもしれないけど」
「ありがとうございます」
森田さんの患者に対する「寄り添う」姿勢は、患者をできるだけ理解しようとする心の表れだ。患者が死を受け止められるきっかけになる。「死を受け止めたくてもお参りに出かけられない患者さんに、仏像を見せると手を合わせて拝み、しゃきっとなることもあります」と板野部長と話す。
死後どうなるかという患者の死生観は、医療の分野ではなく、僧侶が担うところ。僧侶が勝手に法話を説くことはなく、患者からリクエストされた宗派のお経を患者のために読んであげているそうだ。
「他の宗教の方でも、受け入れています。ある患者さんはエホバの証人の信者で、亡くなるまで信じていました。最後まで信仰を貫く方は立派です。患者の妹さんも病院のスタンスを喜んでくれました」
宗派にとらわれず、患者が持つ死生観を受け入れる。患者や家族との信頼関係がさらに強くなっているようだ。
(取材・文=夏目かをる)