前回は、ムーンショットな(途方もない)夢を追いつつ、不老不死の研究に明け暮れる医療ベンチャーCalicoを取り上げた。今回は、遺伝子データベースから、どのようにして個人の素性を特定できるかをレポートしよう。
ゲノム情報が社会インフラを形成するゲノム資本主義の時代へ
「些細なことから、完璧が産まれる」。イタリア・ルネサンス期の画家、彫刻家、建築家のミケランジェロ・ブオナローティ。万能人、神から愛された天才と呼ばれた。だが、米寿(88歳)を全うした一生涯、些細を積み重ね、完璧な芸術をめざした努力の人だった。
遺伝子治療もバイオテクノロジーもゲノム創薬も、些細な発想が起点だ。科学者や技術者や研究者の些細な気づき・勇気・行動が導火線になり、社会を一変するイノベーションを発火させてきた。できないという選択肢を捨てる。できるという可能性に挑む。些細なモチベーションが完璧なポテンシャルエネルギーに変換され、遺伝子医療は日々進化を遂げているのだ。
遺伝子を利活用するバイオテクノロジーを急加速させたのは、1990年に始まり2003年に完了した「ヒトゲノム(ヒトの全遺伝情報)計画」だ。DNA塩基配列や染色体の遺伝情報がすべて解読され、ポストゲノム時代に突入した。
ポストゲノム時代は、どのような状況だろうか?
夥しい個人のゲノム情報が蓄積され、遺伝子治療やゲノム創薬が加熱する。ゲノム情報ビジネスに投機的な資金が流入し、莫大な利潤や8000億ドル(約80兆円)もの波及効果が生まれる。DTC(Direct to Consumer=消費者向け)遺伝子検査サービスなどのパーソナル・ゲノム・サービスが大衆の熱狂を引き寄せ、Google、Yahoo、Appleのような超有力IT企業が市場の覇者になる。ポストゲノム時代は、ゲノム情報が社会インフラを形づくる、まさにゲノム資本主義を謳歌する新時代だ。
例えば、近い将来に、あなたが希有な難病に罹ったと仮定してみよう。そんな時なら、1000人ゲノムプロジェクトをはじめ、グーグル・ゲノミクスや医療ベンチャーCalico、23アンド・ミーのパーソナル・ゲノム・サービスが蓄積・管理してきた遺伝子データベースが活用されるだろう。クラウドに蓄積した数百万人もの膨大なデータベースとあなたのDNA塩基配列を照合すれば、最適な治療薬や治療法がたちどころに判明するからだ。
このようなオーダーメイド医療(個別化医療)は、もはや荒唐無稽のホラ話でない。これこそが、ゲノム資本主義時代を象徴するビッグデータの威力であり、ヒトゲノム・データベースがかなえる高い医療パフォーマンスの真相なのだ。
しかし、このような時代に向き合う私たちの個人のプライバシーは、どうなるのかをよく考えてみよう。
遺伝子データベースから、あなたの素性を特定できるか?
科学誌「ネイチャー」によると、昨年、米国で行われた実験研究では、1000人ゲノムプロジェクトのDNA情報と、Y染色体、年齢、住所、家系データを照合するだけで、実験に参加した50人の身元が特定できたという。1000人ゲノムプロジェクトは、1000人分の匿名のゲノム配列を決定することをめざす国際ゲノム研究プロジェクトのひとつだ。
どのようにして、個人の身元を突き止めたのだろうか? MIT(マサチューセッツ工科大学)ホワイトヘッド研究所のヤニーフ・アーリック博士らの研究チームは、1000人ゲノムプロジェクトに参加しているCEPH(ヒト多型性研究所)のゲノム・データベースを使った。
研究チームが実験に応用したのは、Y-STRという父親固有の遺伝子マーカーだ。Y-STRは、Y染色体(父親の性染色体)の縦列型反復配列を意味する。やや専門的だが、簡単に説明しよう。