2人の天才の運命はどこへ photo:http://8ga10boo.com
ソチ冬季五輪の金メダリスト羽生結弦は、世界フィギュアスケート選手権大会(3月23日~3月29日、上海)に出場し、日本選手初の2連覇を目指す。24日に行われた公式練習では、2種類の4回転ジャンプに成功させており、連覇への期待が高まっている。
昨年11月8日、中国上海で行われたグランプリシリーズ第3戦男子フリーの直前練習で、中国の選手と激突し、頭部、下顎などから出血し、脳震盪での後遺症なども心配された。12月には「尿膜管遺残症」での手術、練習を再開した1月末には右足を捻挫するなど、度重なる怪我や病気で世界選手権への出場が危ぶまれていたが、直前練習での4回転ジャンプ成功で周囲を安堵させている。
それでもまだ、羽生選手の昨年の衝撃的なけがのシーンが頭を掠める。しかも、昨年はフィギュアスケートの世界で起きたひとつの大きな出来事が記憶に残る。ロシアの帝王プルシェンコ選手がソチオリンピックを腰の故障を理由に棄権したときの姿だ。団体戦では華麗な演技で観客を魅了していたが、個人戦の直前練習でジャンプから着地をした時に、突然腰をおさえて動けなくなってしまった。前日には練習中に4回転ジャンプから転倒し、すでに体の限界だったらしいが、本番へのエントリーをあきらめることは無かった。
プルシェンコ選手の壮絶な自分との闘い
プルシェンコ選手が長い間、自らのけがや身体疲労と格闘し続けたことはよく知られる。2003年に氷の溝にはまって半月板を痛め、2005年には鼠径ヘルニアの手術をしている。本来なら腹の中にあるはずの腹膜や腸の一部が、多くの場合、鼠径部の筋膜の間から皮膚の下に出てくる病気だが、一般的には「脱腸」と呼ばれている。この脱腸とフィギュアスケートの関連性は分からないものの、プルシェンコ選手は男子選手としては珍しく、ビールマンスピンを取り入れトレードマークのようになっていた。この技は片脚を後方から頭上に伸ばし、その脚を手で支えた状態で回転をするもので、このポジションを取るには高度の柔軟性と高い回転能力が必要といわれる。実はこの技は羽生選手も取り入れているのだが、脱腸の手術後、プルシェンコ選手のビールマンスピンを目にすることはなくなった。
2007年には2003年に痛めた左膝半月板の状態が悪化し、手術を受けている。さらに2010年には右アキレス腱にできたのう胞除去手術、痛めている半月板クリーニング手術とPLDD(経皮的レーザー椎間板減圧術)などを受けている。クリーニング手術とは関節内に遊離した軟骨や関節の周囲に形成された骨棘(こつきょく)を取り除く手術で、プロ野球選手やサッカー選手ではよく行われている。また、PLDDはレーザー光線を照射して椎間板の中央部を焼灼し、神経を圧迫しているヘルニアの圧迫力を下げる手術だ。
これだけでも並の選手なら長期休養や引退までも考えそうだが、その後もプルシェンコ選手は、2011年に再びPLDD、さらには半月板切除手術を受け、2013年には、ついに腰椎椎間板ヘルニアでADR(人工椎間板置換術)を受けている。通常のADRは稼動域が著しく制限される治療だが、このときの治療ではDSS(ダイナミック・スタビライゼーション)を組み合わせた手術で、腰椎を安定化し、なおかつ可動性は残すという手術で、術後の競技人生を視野に入れたアスリートとしての強い意志を感じさせる。
果たして羽生結弦は帝王プルシェンコと同じ道をたどるのか、あるいはその類まれなる才能を存分に開花させ、長きにわたって新帝王の名を冠せられるのか。