2014年最大の茶番劇、STAP細胞騒動をまとめる その2

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 あきれた。言論の自由への抑圧うんぬんをいう前に、言える自由があるのに、新聞がいうべきことを言っていないではないか。STAP問題の責任についてだ。たまりかねて発言することにした。

 今年1月の記者会見では理研の野依理事長は、会見にしゃしゃり出てきて、あたかも自分の手柄であるかのように成果を強調した。安倍内閣の第三の矢、経済成長の柱として再生医療が位置づけられ、ポット出の小保方晴子は首相が議長を務める最高諮問機関、総合科学技術会議への出席も予定されていた。

 メディアによる大々的な翼賛報道の直後に、ネット集合知がネイチャー論文に内在する矛盾や画像改ざん、文章や画像の盗用疑惑をつきつけると、理研は調査委を結成し「真相を解明するふり」をして、延々と調査を引き延ばした。論文そのものはあくまで正しいと主張して、実験手順の詳細を書いた、プロトコルなるものをネイチャーに追加発表すらした。

 しかし、小保方から渡された幹細胞でキメラマウスを作成した、山梨大若山教授が「STAP幹細胞」なるものはES細胞ではないかと疑い、生物遺伝子情報を専門とする理研の遠藤研究員が公開されたSTAP細胞に見られる染色体異常とそのゲノム配列をES細胞のゲノム塩基配列と比較し、若山疑惑を支持し、若山教授が論文撤回を呼びかけた3月の時点で、「分裂能力がないSTAP細胞が、胎児形成と胎盤形成能力を持ったSTAP幹細胞になったのは、細胞のすり替えが行われたためだ」ということは、幹細胞の専門家でなくても、現代生物学を根本のところできちんと理解している科学者たちには、ちゃんと分かっていた。
 3月末には物的証拠から、すでに「STAP幹細胞はES細胞」という結論は出ていた。

 それに気づいた(本来、竹市後任のCDCセンター長が内定していた)笹井芳樹は理研に対して、3月末に辞意を表明したが、竹市センター長を始め理研首脳部はそれを受け容れず、「再現実験」という政治的思惑がらみの「結論先送り」政策を続行し、笹井を自殺に追いこんだ。2013年度末に理研を離れた若山教授と死んだ笹井副センター長は、いまや理研外部調査委によって「STAP捏造事件」の責任者にされようとしている。
 

安倍内閣の政治日程と連動していた理研外部調査委

 眼を再生医療が政策に取り込まれた背景に転じれば、アベノミクスの第三の矢と再生医療の産業化を目論むベンチャー企業と理研の利害関係はまったく一致しており、調査委、外部調査委の調査発表時期が、安倍内閣の政治日程と見事に連動しているのは、明白ではないか。

 12/26の理研外部調査委の発表は、3月に分かっていたことの追認にすぎないが、「誰が細胞をすり替えたかわからない」という「曖昧決着」をはかろうとしている。そもそも「第三者委員会」なるものは、朝日の慰安婦問題検証の「外部委員会」がそうであるように、組織が自己防衛のために発足させるもので、航空機事故の調査委のような客観的で人命の安全のための調査を行う組織ではない。辞め判事の弁護士を委員長にしたのは権威付けのためで、判事にSTAP問題が理解できるはずがないのは常識ではないか。

難波紘二(なんば・こうじ)

広島大学名誉教授。1941年広島市生まれ。広島大学医学部大学院博士課程修了。呉共済病院で臨床病理科初代科長として勤務。NIH国際奨学生に選ばれ米国NIHCancerCenterの病理部に2年間留学し、血液病理学を研鑽。広島大学総合科学部教授となり、倫理学、生命倫理学へも研究の幅を広げ、現在、広島大学名誉教授。自宅に「鹿鳴荘病理研究所」を設立。2006年に起こった病気腎移植問題では、容認派として発言し注目される。
著書に『歴史のなかの性―性倫理の歴史(改訂版)』(渓水社、1994)、『生と死のおきて 生命倫理の基本問題を考える』(渓水社、2001)、『覚悟としての死生学』(文春新書、2004)、『誰がアレクサンドロスを殺したのか?』(岩波書店、2007)などがある。広島大学総合科学部101冊の本プロジェクト編『大学新入生に薦める101冊の本』(岩波書店、2005)では、編集代表を務めた。

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