シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第32回

ビタミンB1を発見した鈴木梅太郎の苦闘!米糠の有効成分は「脚気」を予防する

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脚気を発症すると膝の下を叩いても下肢が反応しなくなり、ビタミンB1欠乏による心不全に(depositphotos.com)

 世界に先駆けて「ビタミンB1」を発明した鈴木梅太郎(1874〜1943)。「日本の10大発明家」として、高峰譲吉(アドレナリン)、池田菊苗(グルタミン酸ソーダ)、蠣崎千晴(牛疫ワクチン)と並び、鈴木梅太郎(ビタミンB1)の名が挙がっている。

 だが、発明の道のりは、決して平坦でなく、挫折と苦渋に満ちている。1世紀前の巷では、米糠で脚気が癒るなら、小便を飲んでも癒るなどと嘲笑される有様。糠に釘というが、どのようにして米糠からビタミンB1の真理を手繰り寄せたのか? 鈴木梅太郎こそ発明家の草分けの名に恥じない賢人かもしれない。研究一筋、その苦闘と独創の生涯を辿ろう。

鈴木梅太郎に前走するパイオニアが!

 研究は荊の道。あらゆる科学技術の知見も発見も、天与の鬼才や秀才ですら一朝一夕に成し遂げられない。数知れない先駆者や無名の先導者が存在する。

 ビタミンB1発見の道のりも同じ。鈴木を先んじる研究者がいた。幕末に勇躍した悲運の漢方医、遠田澄庵と後世にビタミンの父と評される高木兼寛だ。遠田は「脚気の原因は米にあり」と確信したが、1884(明治27)年に漢方医の診療禁止法が成立したため遠田説は一蹴される。

 だが、伏兵が現れる。遠田説を熟知していた高木だ。 彼は1849(嘉永2)年に宮崎県高岡町に生れ、漢方医として戊辰の役に参軍、治療に携わり、外科手術の緊急性を痛感。ロンドンのセント・ト-マス医学校に留学し優秀な成績で卒業。 帰国後、海軍の軍医となり、脚気で苦しむ水兵が続出する原因が白米中心の食事にある事実に気づく。以降、海軍は、白米に大麦、肉、エバミルクを加えるなど欧風の食事に切り替えたため脚気は次第に沈静化する。

 ところが、東大医学部教授で皇室の待医顧問のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が「脚気伝染病説」を唱えたため、陸軍は東大医学部を中心としたドイツ医学万能主義に固執し、脚気の原因は細菌による伝染病であると主張。陸軍軍医の森林太郎(森鷗外)もベルツ博士の愛弟子だったため、脚気伝染病説を頑なに遵守した。

 その結果、陸軍は、海軍の脚気駆逐の実績を無視したので、夥しい兵士の命が奪われる。日清戦争の戦死者は約5000人だが、約1万2000人が脚気による死亡。日露戦争の戦死者4万8000人、戦病死者約3万7000人、そのうち脚気による死者は約2万8000人。約100万人の兵員のうち戦病兵は延べ35万人、そのうち脚気患者は21万人に上る。

 にもかかわらず陸軍は、太平洋戦争終結まで白米食を固守。脚気伝染病説が主流だったヨーロッパ諸国は、高木が食事の改善によって水兵の脚気を沈静化した事実をひたすら一笑に付している。

 だが、インドネシアで脚気の治療に奮闘していたオランダ人医師のクリスティアーン・エイクマンが、高木の研究に啓発され「白米が脚気の原因である」と公表したため、高木は評価を得た。

 高木は、ドイツ医学が患者を病原菌保有者と蔑む悪弊を強烈に批判。「病気を診ずして病人を診よ」と主張。医師と患者の対話が大切と提唱しつつ、慈恵会医科大学の前身である施療所、日本最初の看護婦養成所のほか、生命保険会社の設立にも尽力する。

難治性むちうち症からなぜ多くの不定愁訴がおきてしまうのか?
難治性のむちうち症を改善 後編 東京脳神経センター 整形外科・脊椎外科部長 川口浩医師

前編『画像診断できない難治性のむちうち症を独自の治療法で改善』

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近畿大学理工学部生命科学科ゲノム情報神経学准教授…

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