シリーズ「あの人はなぜ死に急いだのか?スターたちの死の真相!」第5回

酒好き芸人・春一番の命を奪った「肝硬変」~バーボンのロックを連日1リットル痛飲……

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酒好き芸人・春一番の命を奪った「肝硬変」の恐怖!「γ-GTP」が正常値の30倍の1500!の画像1

画像は現在も残る春一番さんのブログより

 小学校の卒業アルバムに「(将来は)猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と宣言を綴った少年は、1985年に芸人を目指して片岡鶴太郎氏に押しかけの弟子入りをした。

 本名・春花直樹では「字数が悪い」といわれ、「一番の芸人を目指せ!」「春一番のような強い風を吹かせろ!」と、師匠命名の「春一番」という芸名を頂戴する。お笑い系の同期には、爆笑問題の太田・田中コンビや松村邦洋、今田耕司らの勝ち組がいる。

 俳優デビューはドラマ『翼をください』(1988年)で、その後「猪木モノマネの第一人者」となるきっかけは、テレビ東京『宴会芸大賞』で披露して以降。が、念願の芸能界入りが成就するもまたもや「過度の酒好き」が災いしての素行不良が問題視され、太田プロを解雇されてしまう。

 『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』への出演を機に、春一番さんに目をかけた巨匠たけし氏も、酒癖の監視を関係者に指示したり、本人にも「おまえが酒を止めたら、俺の番組で一生使ってやる」と説いて聞かせるほどだった。

バーボンのロックを連日1ℓも

 では、過度の酒好きとはいったい、どの程度の度合いだったのか?

 のちに浅草キッドがネタにした一つの秘話がある。「相変わらず酒浸りの日々でやせ細っている」との近況報告を受けたビートたけし氏が心配し、「しっかり食えよ」と炊飯器を春一番さんに贈った。

 が、春一番さんは、その炊飯器で熱燗やホットウイスキー作りに使って、より酒量を増やしたというから確かに「過度」である。

 出逢いから22年、マネージャー歴20年、結婚して18年、「いつも春さんと一緒にいました」と、夫の死後、故人の『春一番闘魂伝笑ブログ』上で最期の様子を詳細に綴った未亡人の春花綾さんはこう書いている。

 <昔はバーボンを一日1ℓ(ロックで氷が溶けて薄くなったら新しく作る)呑んでましたが、2005年に大病を患ってからは禁酒、節酒をしてました。>

 <自分で酒スケ(飲酒スケジュール)を組んで、今週は呑みませんとか明日は呑むよ…なんて言ってました。>

腎不全で医師も見放す状態から、アントニオ猪木氏の闘魂注入で奇跡の生還!?

 2005(平成17)年の夏から冬にかけて(8~12月)、春一番さんは「化膿性肺炎」、いわゆる「腎不全」で入院を余儀なくされて大手術を受けた。

 その時点で、肝臓、腎臓、膵臓の内臓はことごとくやられており、体重が激減していた。腎不全から肺膿瘍、加えて肺気胸まで併発して、3度にわたる手術を経ても容体が復調せず、医師陣も半ば見放さざるを得ない事態だったという。

 しかし、彼の人生で最も憧れの人物が見舞いに訪れ、ICUで励ましの言葉をかけられて以降は奇跡的な回復ぶりを見せ、芸人・春一番は生還した。アントニオ猪木氏はこう言ったのだ。

 「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」

 もちろん、例のハンパないビンタ付きのアントニオ式の激励法――。それが奇跡の生還につながったという都市伝説は、猪木ファンの間ではいまだ根ぶかい。

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