都会から「ホッとできる空間」が減っている
そういった自殺希少地域では、屋外のいたるところに、座ってしゃべれるベンチや置物が置かれている。森川氏はそれに対し、新宿のような都会にはベンチがないと指摘。座ろうと思ったら、お金を払って入る店しかない。お金のない人には、座って休めて、人と話せる場所がない――。
都会では効率的なものやオシャレなものばかりが重視され、非効率的なものや冴えないものは排除されていく。「効率を手段ではなく目的に添えてしまっては、それは何も生み出すことはない。それどころかひとを不幸にしてしまう」と森川氏は記している。
先日も、上野動物園の前で70年続いた昔懐かしい「上野こども遊園地」が閉鎖された。地主である東京都が「動物園の魅力を高めることを目的とした正門前広場の整備工事」の支障となると判断したという。
跡地にはオープンカフェのある広場ができるという。オシャレだがどこでも同じような雰囲気の、飲み物の値段も高めな現代的なカフェができるのだろう。この開発計画には、2020年の東京オリンピックも関係しているのだろうか。
都会からは、ほっとできる空間、人と人がゆるやかに交われる空間が、どんどん減っていってはいないだろうか。流行のセンスとお金を持つ人だけが過ごせる街は、弱者を排除する街へとなりかねない。「人が孤立しない街のありかた」をいまこそ都会の人々は、森川氏が訪れたような自殺希少地域から学ぶときがきている。
里中高志(さとなか・たかし)
1977年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉士。フリージャーナリスト・精神保健福祉ジャーナリストとして、『サイゾー』『新潮45』などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に精神障害者の就労の現状をルポした『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。