走れない、歩けない……涙の引退後、寝たきりに
34歳、1938年1月に西部劇映画『ローハイド』に主演した際、身体の異常が見つかる。アクションはこなせたものの、椅子から立ち上がれなかったり、ふらついて歩いたりなど、下肢筋力低下の症状が現われたのだ。シーズンの半ばから成績は下降線をたどり、ロッカールームやフィールドで突然倒れたり、道路のわずかな段差でも躓いたり、得意だったアイススケートでも転んだり……。
36歳、1939年の成績は自己最低の34打数4安打1打点、打率.143。筋肉のコントロールを失い、走れない。2130試合目の連続出場を決めた4月30日のワシントン・セネターズ戦で引退を決意。ベンチに下がったゲーリッグに観客のスタンディングオベーションの波が大きくうねる。ゲーリッグは涙を浮かべた。
引退直後の6月13日、エレノア夫人は脳腫瘍ではないかと疑い、ミネソタ州ロチェスターにあるメイヨー・クリニックのチャールズ・メイヨー医師を訪ねる。最初に診断したハベイン医師は、一目見ただけで驚く。「顔の無表情や奇妙な歩き方……。私の母を蝕んだ筋萎縮性側索硬化症の症状とまったく同じだ」。
36歳を迎えた6月19日、ハベイン医師は、ゲーリッグとエレノア夫人に病名「筋萎縮性側索硬化症」を告知した。 「治療法がない珍しい病気? 今のまま暮らせる可能性は半々? 10年から15年後は松葉杖の生活?野球はもはや続けられないのか」。ゲーリッグの心中は千々に乱れる。エレノア夫人は悲嘆に暮れた。
10月、ゲーリッグは、ミネソタ州の仮釈放委員会委員に就いたが、やがて歩けなくなり、車椅子も拒否したため、寝たきりの生活になる。ビタミンEを投与されたが、何ら効果がない。93kgの巨体はわずか41kgに激減。「良くなったらトレーニングを始めるよ」。エレノア夫人を励ます言葉も弱々しく響いた。
2年の歳月は瞬く間に去る――。38歳を迎える17日前の1941年6月2日、逝去。享年37。後年、回顧録を執筆したエレノア夫人は最期を看取る。翌1942年、ゲーリッグの半生を描いた映画『打撃王』(サム・ウッド監督)が公開された。
「この世で最も幸せな男」を襲った筋萎縮性側索硬化症(ALS)の恐怖
ゲーリッグを襲った筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral sclerosis:ALS)はどのような疾患か? 『メルクマニュアル18版』によれば、運動神経(運動ニューロン)が急速に衰退するため、手足・喉・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉が萎縮し、徐々に四肢麻痺、構語障害、嚥下障害、呼吸障害、歩行障害などを発症する進行性の神経変性疾患(運動ニューロン疾患/MND)である。
だが、運動神経以外の視力や聴力などの感覚神経、自律神経、知能、内臓機能などは、ほとんど障害を受けない。
主に40~60歳の壮年期に多く、男性の発症率は女性の約2倍。患者数は人口10万人あたり2~4人。平成25年度の特定疾患医療受給者数によると約9200人。1974年に特定疾患に認定された。およそ90%が遺伝性のない孤発性だが、5~10%に常染色体優性遺伝による家族性ALSがある。
ゲーリッグが2年で急死したことでもわかるように、極めて進行が速く、発症後3〜5年で呼吸筋麻痺によって死亡する。有効な治療法はないが、筋力低下を遅らせるリハビリテーションは有効とされる。日本では1999年から保険収載されている治療薬リルゾールのほか、昨年、急性脳梗塞などの治療薬エダラボン(ラジカット)が機能障害の進行抑制に効能・効果が承認され、利用されている。
病気の原因は、アミノ酸代謝の異常、タンパク質TDP-43の異常凝集、ミトコンドリアの異常のほか、スーパーオキサイドの過剰産生による細胞死、神経栄養物質の欠乏、フリーラジカル、自己免疫など、諸説あるが未解明だ。
京都大学iPS細胞研究所の井上治久准教授は、ALS患者の皮膚細胞からiPS細胞を作り、運動神経の細胞に変化させたところ、脳や脊髄の病巣に蓄積するTDP-43というタンパク質が神経突起の成長を抑制していることを発見。アナカルジン酸を投与すると、TDP-43タンパク質が減少し、神経突起の成長が促されることを確認している。近い将来、ALSの治療につながる可能性があるかもしれない。
エレノア夫人はALSの研究支援に余生を捧げる
ゲーリッグは、引退スピーチで観衆に話しかけた。
「ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運のニュースをご存知でしょう。しかし、私は自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。球場へ17年間通い続けました。いつもファンの皆様からご親切と激励をいただきました。ありがとう」
ゲーリッグの死後、エレノア夫人は再婚せず、ALSの研究支援に余生を捧げる。夫の死から43年後の1984年3月6日、80歳で逝去した。
晩年に出版した回顧録にこうある。「他の男性に20年間どんなに尽くしていただいたとしても、あの方と過ごした2分間に得ることのできた喜びや悲しみと引き替える気にはなれません」。ゲーリッグ夫妻は、ニューヨーク州ヴァルハラ・ケンシコ墓地に眠っている。
*参考文献/『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語』(ダウエ・ドラーイスマ/講談社)など
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。