シリーズ「病名だけが知っている脳科学の謎と不思議」第4回

「アスペルガー症候群」がウワサされる有名人~“むずかしい子ども”が歴史を動かす!?

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アインシュタインもアスペルガー症候群だった!?Akimov Igor / Shutterstock.com

 アスペルガー症候群(Asperger Syndrome)は、先天的な脳の機能不全によって、3歳以上の小児が発症しやすい自閉症だ。社会性・コミュニケーション・想像力に障害があるものの、知的障害や言語障害はない。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ、トーマス・エジソン、アルバート・アインシュタイン、スティーヴン・スピルバーグ、ビル・ゲイツ、スーザン・ボイル……、アスペルガー症候群を公表、あるいは噂される著名人は少なくない。

アスペルガー症候群はどのように発見された?

 戦争が命運を分けたアスペルガー症候群のルーツを足早に辿ってみよう。

 1939年9月、ドイツ軍によるポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦。ソ連軍の侵攻、ドイツへの英仏の宣戦布告が導火線になり、ヨーロッパ全土は戦場と化す。1941年12月、日米開戦の火蓋が切られ、世界は戦地に変わった。

 激戦さなかの1943年、アメリカの精神科医レオ・カナーは、早期乳幼児自閉症についての論文を発表。米英の精神学会で高い評価を受け、その後、精神科界に強い影響を及ぼした。

 翌年の1944年、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーは、「小児期の自閉的精神病質」と題する論文をオーストリア精神学会に発表する。

 論文の中で、アスペルガーが自閉的精神病質と呼んだ4人の男児は、人の感情に共感できない、友人関係を築けない、一方的な会話や特定の興味ある事柄にだけ没頭する、虚ろな表情やぎこちない言動が著しいなどの人格の疾患が診られた。

 アスペルガーの論文の観察記録は精緻だったものの、好意的に受け入れたのはオランダの国際治療教育学会の児童心理学者や児童精神学者だけだった。

 アスペルガーは、男児たちが成人すれば、特殊な才能を活かせるはずだと確信していた。4人の男児は、自分の興味が強い事柄については詳細かつ雄弁に語る能力に優れていため、「小さな教授たち」と名づけられてていた。6歳のフリッツ・Vは計算が速く正確だった。11歳のヘルムート・Hは詩の情緒的な表現に長けていた。

 しかし、戦況の先行きが見えず、オーストリアがドイツの占領下にあった事情も災し、終戦後もアスペルガーの論文はまったく顧みられず、およそ40年も書庫に眠らざるを得なかった。

 アスペルガーは、ウィーン大学小児病院小児科の主任教授に着任後、講義、診察、手術、「むずかしい子ども」の治療研究に情熱を捧げ、1980年、74歳で生涯を閉じた。

 1981年、イギリスの児童精神科医ローナ・ウィングは、アスペルガーの埋もれていた論文を発見し、「アスペルガー症候群の臨床報告」を公表する。だが、アスペルガー症候群の名が世界の精神病界に深く刻まれるには、さらに10年の歳月を要した。

 ドイツ語で書かれたアスペルガーが残した幾多の研究論文が英語に翻訳されたのは、1991年だったからだ。

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