その後も懸命な捜査を重ねたナーボロウ警察は、犯行時間ころ、ドーンの遺体発見現場付近で赤いバイクが逃走するのを目撃した証人情報をつかむ。現場近くの病院に勤める食堂従業員、ジョージ17歳を逮捕。ジョージは、ドーンの殺害は自白したが、リンダの殺害は否認する。血液型は一致。だが、3年前は14歳だったジョージが、犯行に及べたのか?
決定的な証拠を得たいナーボロウ警察は、レスター大学の遺伝子学者、アレック・ジェフリーズにDNA鑑定を依頼する。ジェフリーズは、ジョージの血液サンプルを入手し、リンダとドーンの膣から採取した精液斑痕を鑑定したが、DNA指紋は不一致。ジョージはシロ、捜査は振り出しに戻る。
ナーボロウ警察は、ジェフリーズのDNA鑑定の結果に承服せず、ジェフリーズに不信感を深める。解決案を模索したジェフリーズは、地域住民の血液サンプルを採取し、DNAデータを比較する方法を思いつく。
1987年1月、ナーボロウに住む17〜35歳までの男性から血液を採取。ジェフリーズは、6ヶ月間に集めた約4500人分の血液サンプルのうち、加害者の血液型であるB型以外の男性を排除。だが、残りの496人のDNAを抽出し、照合検査したが、496人のDNAと加害者のDNAは不一致。精液斑痕と一致するDNAを発見できなかった。
ナーボロウ警察、住民、政治家らは、ジェフリーズに不信感を募らせ、ジェフリーズは孤立する。だが、思わぬところから、真犯人が馬脚を現す。
1987年7月、ある女性からナーボロウ警察にタレ込みがあった。通報によると、イアン・ケリーという男がパブで、「DNA鑑定の代役を強姦の前科がある同僚に頼まれ、200ポンド(約3万7000円)で請け負ったよ」と自慢げに話すのを耳にしたというのだ。
早速、ナーボロウ警察はケリーを尋問し、依頼したパン工場に勤める同僚のコリン・ピッチフォーク27歳を突き止める。ピッチフォークの血液型であるB型と、被害者2名の膣内に残っていた精液班痕のDNAは、完全に一致した。血液型と精液班痕が同一のDNAが出現する確率は、738兆分の1という高精度だった。
ピッチフォークは、仮釈放なしの終身刑を宣告される。4年に及んだ高校生強姦殺人事件、ピッチフォーク・ケリー事件は、こうして解決を見た。