当時はDNA鑑定などなく、血液型の種類も少なかった。ABO式とMN式の2種類の血液型だけで親子鑑定を行うのは無謀に近かった。なぜなら、実子ではない場合、2種類の血液型のいずれかで実子でない結果が出る確率 (排除率) は 30.82 %だ。つまり、3件のうち2件は、親子として全く矛盾のない結果が出る。
しかし、現在の親子鑑定では、孤立否定 (1種類の血液型またはDNA型だけで親子関係が否定されること) では、親子関係を否定できない。血液型またはDNA型に突然変異が生じれば、実の親子なのに、事実と矛盾した結果が出る可能性が十分あるからだ。
したがって、2~3種類以上の血液型またはDNA型で否定されれば親子関係を否定できるが、それ以外の場合は否定できない。ABO式血液型とMN式血液型の両方で実子でない子の親子関係が否定される確率は、わずか 2.7 % (日本人なら 3.6 %) で、37人のうち36人は無実(親子でないこと)を証明できない。
否定できない場合は、検査項目を増やして精度を高めなければならない。それでも否定できない場合は、血縁関係の確かさを表す父権肯定確率を計算し、その値を目安として親子関係を確定する。突然変異が疑われる場合は、遺伝子解析を行う。だが、実際は、証明が難しいケースや解析が不可能なケースが少なくない。
チャップリンの場合、ABO式血液型1種類で否定的な結果が出ただけなので、科学的にはキャロル・アンとの親子関係は否定できない。当時の技術的な限界のために、その他の血液型を検査できなかったのだろうか。陪審員の評決は、状況証拠に基づいた陪審員の心証で決まる。評決はノーだったが、親子の真偽はいまだ不明だ。
ちなみに、キャロル・アンの真の父親はJ・ポール・ゲティという説もある。ジョーンは、娘を裕福な男に後見させようと目論んだのかもしれない。だが、週75ドルの養育費は決して高額ではない。当時、チャップリンは、エッサネイ社と週給1250ドル+ボーナス1万ドルで契約しており、裕福だった。1953年、ジョーンは精神病院に入院。キャロル・アンは親戚に引き取られ、育てられた。
ロマンスと冒険に満ちたチャップリンの一生は、決して順風満帆とはいえない。戦争の出兵拒否、ソ連を助けるアジ演説をしたことから左翼寄りの自由主義者としてFBI(連邦捜査局)に監視された。第2次世界大戦後の冷戦時代は、平和思想が反共運動やネガティブ・キャンペーンの格好のターゲットになった。映画『殺人狂時代』は、上映の拒否や妨害、国外追放の公聴会などの圧力を受けた。最後の主演作『ニューヨークの王様』は、アメリカへの痛烈な皮肉が嫌われ、1973年までアメリカでは公開されなかった。1975年にイギリスでエリザベス2世からナイトの称号を受けたが、思想や女性問題で叙勲がかなり遅れた。
1977年12月25日、ローザンヌの自宅で死亡。享年88歳。死後、チャップリンの柩は、身代金目的で墓地から盗み出されたが、墓地から17キロメートル離れたレマン湖畔のトウモロコシ畑で発見される。「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる」「笑いとはすなわち反抗精神である」「私の最高傑作は次回作だ」――。夥しい愛憎劇や数々のゴシップは、マスコミの餌食になったが、鋭い批評家精神に満ちた生涯だった。
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。