連日の厳しいトレーニング、女子ラグビー横尾選手の疲労回復法は?
日々ハードな仕事に終われ、ストレスや疲労を溜め込んで体調を崩してしまうサラリーマンは多い。不規則な生活になりがちな中、コンディションをどう整え、疲労回復のために何を心がけて生活すれば、ハードワークの中でもモチベーションを維持することが可能か――。
オリンピックにも出場経験がある女子ラグビーの横尾千里選手(東京フェニックスRC)は、7人制女子ラグビーの強化選手として強化合宿や海外への遠征試合などハードなスケジュールをこなしつつ、自身の疲労回復、コンディション作りに務めている。横尾選手に普段から取り組んでいる疲労回復法、健康管理の方法について詳しく話を聞いてきた。
ラグビーを始めたきっかけは祖父と弟
横尾選手がラグビーを始めたのは小学校1年生の時。ラグビーをやっていた祖父の影響から、まず2つ年下の弟がラグビーを始め、そのうち横尾選手も自然とラグビーボールを手にするようになった。
「ラグビーをやっているというよりは、遊びで追っかけっこをしたり、タックルの真似して遊んでいるような感じでした。そのぐらいの年齢だと男の子より女の子のほうが体が大きくて、できることも多かったし、すごく楽しかったのを覚えています」
遊びから本格的な競技としてラグビーを見るようになったのは学生時代に入ってから。
「歳を重ねていくに連れ男の子のほうがうまくなっていくし、わたしもついていくのが必死になってきて、男の子に『女の子だから』と思われるのも嫌だからって、とにかく頑張って練習をして今に至るんです」と照れ笑い。
その後、國學院大學久我山高等学校に入り、女子ラグビーのクラブチームに所属。しかし、高校のラグビー部には入部できず、普段は付属中学の男子ラグビー部に交じって練習をし、週末だけクラブチームの練習に通う日々を送った。
「学校は、成績順にクラスが別れていたんですけど、たまたま学年で一番上のクラスに入っていたんです。しかし、そこから落ちたらラグビー部を退部ということになっていて、勉強もついて行けないし、部活もついて行けない。1日のほとんどの時間を勉強に充てていました」
その後ラグビーの名門・早稲田大学に入学。大学には女子ラグビー部はなかったが、クラブチームをそれまでの所属チームから東京フェニックスRCに移籍。本格的にラグビーに取り組む日々を過ごすようになる。
15人制から7人制へ、リオ五輪の代表選手に
横尾選手が15人制から7人制のラグビーへ移行する機会も、この大学時代に訪れる。
「オリンピック種目に7人制のラグビーが決まった時に声がかかったんです。『今日から自分の目標が金メダルと言えない人はこの部屋から出ていってください』って」
練習は合宿形式で行われた。オリンピックまではラグビーの練習をやるというよりは、ひたすら走っているという感じだったという。
「つらいことばかりでした。リオのオリンピックに関しては、ウエイトトレーニングをやったり体を作る時間が少なくて、走ることにものすごく練習時間を割いていました」
そもそも痩せやすい体質ということもあり、ウエイトトレーニングに割く時間が少ないことに、当時は焦りも感じたという。「リオ五輪までは全体のうち3、4割しかウェイトトレーニングに割けなかった」といい、その過程を経て、その後はウェイトトレーニングに費やす時間を5、6割まで増やすよう配分を変化させた。