1年半に及ぶ調査の末、1997年6月28日に遺骨を発見
ボリビア政府は後ろめたさを感じていたのかも知れない。裁判を受けさせず、ゲバラを殺害し、「戦闘中に亡くなった」という嘘の発表したのだ。しかも、それが嘘だとわかれば、世界中から非難を浴びかねない。
そのことを何より恐れたために、ゲバラの遺体のありかをボリビア政府は隠蔽し続けた。そのため「火葬された」「軍の敷地内の井戸に沈められた」「他国に持ち出された」などというデマが流され、死の真相はボリビア政府の箝口令によって隠され続けた。
しかし、四半世紀が経ったある日、事態は急展開を見せる――。ボリビア陸軍のある中尉が、自身の処遇に不満を持ったことから、外国人記者に「ゲバラの遺体はバジェ・グランデの空港と共同墓地の間に埋められている」と明かしたのだ。
そのニュースは世界中に報道され、事態は一変した。ボリビア政府はもはや隠しきれなくなった。
キューバとアルゼンチンの考古学者たちによる発掘チームが、1995年から1年半に及ぶ調査の末に、ゲバラら7人の遺骨を発見した。キューバは言わずもがなだが、アルゼンチンのチームが加わったのは、ゲバラの祖国だからだ。
アルゼンチン側の持ってきたカーボン探査機によって、調査は進展した。これは地中にある骨に反応するもので、もともとは恐竜やマンモス発掘用のものであった。これを使うことで、滑走路の一箇所に、かなりの骨が埋まっていることがわかったのだったのだ。
これにより1997年6月28日にゲバラやそのほかの同志6人の遺骨が発見された。町外れにある滑走路脇の土の中に、ゲバラはうつぶせで、白骨化した状態で発見された。遺体には、緑色の軍服がかけられていた。
遺体はすべてDNA鑑定で特定されたが、ゲバラの場合、それ以外の決定的な特徴は遺体にあった。それは、両手が切り落とされていたことであった。
彼の遺骨が発見された場所は、現在、博物館となり、町(バジェ・グランデ)の観光資源として役立てられている。また、処刑されたイゲラ村の小学校も博物館となり、村にはゲバラの大きな立像や胸像が建てられている。イゲラ村やバジェ・グランデは、アルゼンチンをはじめとするゲバラ信奉者たちのひそやかな聖地となっているのだ。
(取材・文=西牟田靖)
西牟田靖(にしむた・やすし)
ノンフィクション作家。1970年大阪生まれ。神戸学院大学法学部卒。日本の領土問題や、戦後の植民地・戦地からの引揚問題など、硬派なテーマを取材執筆。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『本で床は抜けるのか』など。