「子どもの障害は親の責任」という偏見
発達障害は脳機能の障害であり、その原因は遺伝など先天的のものであることは、今や世界通念である。一卵性双生児で、一方が発達障害だと、もう一方も90%程度の確率で発達障害を抱えていることを明らかにした研究などもあり、遺伝的要因はかなり高いとされている。
一部、後天的な発達障害も認められているが、それは、幼少期の疾患や外傷などに起因するとされている。
つまり、世界のいかなる現場でも「親の育て方如何で発達障害は防げる」などという理論は、まかり通らないのである。これはともすれば、「発達障害は親の育て方のせい」と、障害の原因を親に帰結させることになる、危うい考え方に発展しかねない。
というのも、ほんの60余年前まで、日本には「私宅監置」という、自宅で精神障害者を管理する制度が存在した。実態は、自宅軟禁である。これは「子どもの障害は親の責任」という思想に基づいている。
制度そのものはもちろん消滅しているが、その思想は今なお社会に潜んでいるといえる。たとえば、2003年に公開された邦画『ジョゼと虎と魚たち』に、その一端が垣間見られる。
足が不自由な主人公の女性ジョゼに対し、同居家族の祖母は、世話はするのだが、世間体を気にし、近所では一人暮らしを装っているのだ。日本では、障害を持つ子どもの親が、こういった「抱え込み」心理に陥りやすい傾向があるのは否めない。
非科学的な「伝統的子育て」
そもそも、発達障害の子どもを持つ親は、幼少期から子育てに苦労し、「自分の育て方のせいなのだろうか」と思い悩む。その苦しさの中で、障害を心理的に受容したり、障害特性を学んで、対処法を試行錯誤したり、たいへんな思いをしているものだ。
正しくは「広範性発達障害」という名の通り、症状が多様で複合的で、環境などにより二次障害としての精神症状を併発するリスクも高い。マニュアル通りにいかないのが、診断、対処法とも、発達障害の難しいところだ。
あえていうなら、二次障害のリスクを抑えるために、接し方や環境の整え方を工夫することはできるが、それは医療的見地に基づいたものであり、非科学的な「伝統的子育て」とは相いれない。
先の議連の勉強会の内容に、親や関係者が猛反発したのは、容易に想像できる。戦前教育を重んじる同議連の狙いがどこにあるのか……。
とにかく、こうした誤った障害者認識のもと、親の「教育」を提唱する「親学」は、「親学推進協会」という組織を通じて広報活動が行われている。公式サイトには、発達障害とか戦前教育というキーワードは一切登場しないが、今後の動向が気になるところだ。
ちなみに、小池氏が都知事選でにわかに掲げた「保育政策」も、現場からは「物理的に詰め込むつもりか」「児童のストレスを増長させるだけ」などの声が上がっている。彼女の今後の政策方針からも目が離せない。
(文=編集部)