シェパードの死後、息子・サム(23歳)は動く。「父の冤罪は晴れたが、母を殺めた真犯人は挙がっていない。殺人事件はまだ解決していない」。サムの懸命の真犯人探しが始まるが、大きな難関が立ち塞がる。
事件直後の捜査記録をよく洗うと、ひとりの男が浮上した。当時、家に出入りしていた窓ガラス清掃業者のリチャード・エバーリングだ。ベイ・ビレッジ警察は、有力な容疑者と睨み、エバーリングのアリバイ調べや身辺捜査を進めたが、犯行を裏づける確かな証拠はなく、逮捕に至らなかった。「エバーリングの血液のDNA鑑定をなぜしなかったのか?」とサムが訝ったのも当然だ。
このシリーズの「ピッチフォーク・ケリー事件」で書いたように、血痕や精液瘢痕の判定に高い個人識別能力を示すDNA指紋法が犯罪捜査に活用されるのは、1985年以降だ。マリリンの殺人事件が起きた1954年当時は、血痕のDNA鑑定はできなかった。
「犯人に噛みついた母の歯に犯人の血痕が残っている! 血痕のDNA鑑定をすれば、エバーリングがクロかシロか分かるはずだ」。サムは諦めない。だが、問題が2つあった。血痕のサンプルの保存状態が悪く、汚染がかなり進み、判定できない。血痕量が少なすぎたのも致命的だった。
2015年の時点では、血痕の鑑定は、ルミノール検査法(赤血球に含まれる鉄と銅がルミノールと化学反応を起こして青白い蛍光を発することを利用する検査法)による血痕検査も、DNA型検査も高精度で行える。ルミノールの数倍以上の感度と明度がある超高感度の血痕探査試薬が開発されているので、汚染された微量のサンプルでも血痕を発見できる。
マリリンの歯に付着した犯人の血痕をDNA鑑定すれば、エバーリングの犯行か否かは分かるかもしれない。だが、エバーリングのDNAでなかったなら、それは誰のDNAなのか?
ちなみに、エバーリングは、別の殺人事件で死刑判決を受け、1988年に服役中に死亡している。ドクター・シェパード妻殺人事件の犯行から61年。真相は、深い闇に包まれている。
参考文献
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
「週刊マーダー・ケースブック35」(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。