シリーズ「DNA鑑定秘話」第24回

DNA鑑定秘話〜TVドラマ『逃亡者』のモデル「Drシェパード妻殺人事件」の真相

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 7月3日、シェパードはアーン夫妻を食事に招いたが、病院からの緊急電話が入り病院へ向かう。大腿骨折した少年の手術を終えて帰宅したのは午後9時頃。夕食後、疲れて居間のソファで眠り込む。

 深夜、妻の悲鳴で目覚め、慌てて2階へ駆け上がる。いきなり何者かに後頭部を殴られて昏倒。意識はやがて戻ったが、マリリンの息はない。息子を案じて子供部屋に行くと、階段を駆け降りて走り去る人影を見る。髪がふさふさした巨漢だった。闇夜の湖畔で必死に格闘するが、首を絞められて意識を喪失する。

 何時間が過ぎたろうか……。波打ち際に顔を突っ込んだまま意識を取り戻す。濡れたTシャツを脱ぎ捨て、自宅に戻り、フーク村長に電話をかける――。

 シェパードの記憶に矛盾はなかった。だが、ベイ・ビレッジ警察はシェパードを疑う。外部から侵入した形跡はない、家族以外の指紋はない、脱ぎ捨てたTシャツも見つからない。

 シェパードは確たる証拠もないまま妻殺しの容疑で逮捕される。

 人里離れた湖畔の片田舎で起きた若いエリート医師の妻殺し! マスコミは色めきだち、ハイエナのように食いつく。金持ちへの大衆の嫉妬心を煽りながら、憶測だけのメディア・サーカス(報道合戦)が加熱する。繁盛していたベイ・ビュー病院への地元の医師たちのやっかみも加わる。看護師スーザン・ヘイズとの浮気もバレる。夫婦関係が冷え込んでいたという証言も後を絶たない。マリリンの枕についた血痕に手術器具の痕跡があるとする検視結果も追い打ちをかける。世論の猜疑心がますます深まる。

 シェパードのプライバシーは白日の下に晒され、殺害の状況証拠だけが積み上げられていった。

妻殺しの罪で終身刑の最高裁判決が下ったが……

 1954年12月、シェパードは、第二級殺人(殺意はあるが計画性はない殺人)の終身刑を最高裁から宣告される。有罪判決後、シェパードの母は遺書を残して拳銃自殺、その直後、父は出血性胃潰瘍で他界する。

 だが、10年間の服役後の1965年、オハイオ州刑務所で行っていた人身保護令状(ヘイビアス・コーパス)の請願が認められる。人身保護令状は、不当に拘禁され人身の自由が奪われた被疑者の身柄の救済を裁判所に求める令状だ。

 1966年6月、連邦裁判所は有罪判決を却下し、再審開始。残留していた証拠品や血液型の検証が慎重に進められる。11月、証拠不十分で嫌疑なしと判断され、シェパードはついに最高裁の無罪判決を勝ち取った。

 脱ぎ捨てたTシャツは後日に湖畔で発見されたが、血痕はまったくない。犯行現場の壁の血痕から犯人は左利きだが、シェパードは右利き。犯人に噛みついた時に欠落したマリリン(O型)の歯についた血液型はA型。シェパードもA型だが、シェパードの体に噛まれた跡がない。

 シェパードの無罪をたぐり寄せたのは、後にボストン絞殺魔事件の犯人、アルバート・デサルヴォを弁護した29歳の弁護士、リー・ベイリーだった。

 無罪放免になったシェパードは、アリアーネ・テッベンヨハンス(ナチスドイツの宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスの妻マグダ・ゲッベルスの妹)と結婚するが、すぐに離婚。45歳でプロレスラーに転向し、マネージャーの娘コリーン・ストリックランド(20歳)と結婚。スキャンダラスなニュースは物議を醸す。

 だが、1970年4月6日、長年のアルコール依存症と睡眠薬のオーバードーズ(過剰摂取)が祟り、肝不全で急死した。

血痕のDNA鑑定をしてみれば……真犯人は?

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