チューブからの栄養でいつまでも生き続ける?shutterstock.com
「ピンピンコロリ」という言葉がある。長患いや認知症などで家族に迷惑をかけることなく、ある日突然ぽっくり亡くなることを望む言葉だ。長野県には「ピンピンコロリ地蔵」が、千葉県にも「ぴんころ地蔵」なるものがあり、参詣者が後を絶たないという。
元気なうちに「ピンピンコロリといきたいね」と話し合っていても、いざパートナーや親が延命措置を施さないと命が危ないという状況になったとき、家族が本人の意向を無視した選択をする場合がある。「胃ろうでも人工呼吸器でもなんでもつけて、とにかく命だけは助けて」と。
胃ろうは「つけても地獄、断っても地獄」
家族にしてみれば、命を永らえさせる方法があるのに、それを選ばないのは見捨ててしまうことになるのではないかという思いもある。特に、ある日突然、死に際に直面したらパニックに陥り思考停止となり「いつまでも温かな手を握っていたい、とにかくどんな形でも生きていてほしい」と強く望むケースがあるのだと言う。
6月に発行された書籍『欧米に寝たきり老人はいない 自分で決める人生最後の医療』(宮本顕二、宮本礼子・著/中央公論新社刊)では、ある認知症家族会の人の言葉が紹介されている。
「私は胃ろうについて相談されると、胃ろうはつけるも地獄、断るのも地獄とアドバイスします」
延命措置を選んでも、選ばなくても、家族には葛藤が残る。だから、医学会が「終末期の高齢者には経管栄養や中心静脈栄養の適応がないことを示すことが必要だ」と著者は言う。