40件に及ぶ殺人、強盗、薬物取引に関わったとされる「ハイルブロンの怪人」は、DNA鑑定によって多言語を操る女性と推定されたが......shutterstock.com
ドイツ南部のシュワーベン地方に、人口15万人のハイルブロン市がある。遊覧船が行き交う美しいネッカー川のさざ波。運河沿いや遊歩道でインラインスケート、サイクリング、散策を楽しむ家族たち。陽光が降り注ぐ肥沃な緑の盆地。青々としたブドウ畑の絵に描いたようなランドスケープ。中世ゴシック建築の石造りの家並み。町中を潤す噴水群の清冽さ。自然の柔らかな風合いが勤勉実直な人々の気質を育くむ静謐な町の佇まい――。
その平和のまどろみを、一瞬にして打ち砕く殺人事件が起きる。
2007年5月25日、道端に停車したパトカーの中で倒れていたのは、頭を撃ち抜かれた2人の警官。女性警官は死亡、男性警官は微かに息があった。手錠も拳銃(H&K P2000)も奪われていた。
現場に残された容疑者のDNA鑑定が行われる。検出されたDNAは、1993年からドイツをはじめフランス、オーストリアなどヨーロッパ各地で頻発している、40件に及ぶ殺人、強盗、薬物取引の現場から検出されたDNAと完全に一致。捜査当局は同一犯による国際的な連続殺人事件とみなし、欧州全土に捜査網を広げた。
犯人は女性か? 言語能力に長けたマルチリンガーか?
ドイツ警察局は、ミトコンドリアDNAの分析の結果、犯人は女性である可能性が高いと発表。東欧やロシアなどの出身者、東欧の犯罪組織や麻薬取引との関わりのある者、多言語を操る能力をもつ者と推定した。ドイツ警察は、この顔の見えない女を「ハイルブロンの怪人」と呼び、2009年1月、30万ユーロ(約4000万円)の懸賞金をかけて国際指名手配。だが、犯人の手がかりも足取りも、まったく掴めない。迷宮入りかと思われた。
しかし、奇妙な事件が頻発する。
2007年7月、フランス国境にほど近いドイツのザールブリュッケンで、少年らが学校に不法侵入する窃盗事件が発生。2009年3月、この窃盗事件に関係する試料のDNA鑑定を行ったところ、信じがたい事実が明らかになる。
少年らが現場に残した清涼飲料水の缶から、「ハイルブロンの怪人」のDNAが検出されたのだ。さらには、同時期にフランスで発見された難民男性の焼死体のDNA鑑定でも、「ハイルブロンの怪人」のDNAが検出された。これは、何を意味するのか?
不審を深めた警察当局は慎重に再捜査を進め、2009年3月27日、問題となっている「ハイルブロンの怪人」のDNAは、捜査に使用する綿棒を警察に納入していたメーカーに務める女性従業員のDNAと判明する。もちろん女性従業員は、一連の犯行とは無関係だった。
なぜこのような事態が発生したのか? 「ハイルブロンの怪人」のDNAを検出した各国の警察当局は、すべてバイエルン州にあるメーカーの同じ工場から出荷される綿棒を使っていた。この工場には、東欧出身の女性が多数働いている。綿棒を包装する工程は素手で行っていたため、仕分け作業中に女性従業員の汗などが混入したと考えられた。
しかし、どの事件現場からも女性従業員のDNAだけが検出されたのはなぜか?
最近の捜査で警察が使用する綿棒は、DNA汚染を防ぐために特殊な試薬を含んでいる。綿棒に最初に付着したDNAはすぐに固定化されるために、固定化されたDNAは細菌などに分解されない。つまり、後から付着した他のDNAは固定化されないので、最初に採取したDNAだけが、そのまま保存され検出された。
つまり、すべての綿棒に女性従業員のDNAが固定化されたため、事件現場では容疑者のDNAを固定化できなかったのだ。「ハイルブロンの怪人」事件は、DNA汚染を防ぐ試薬が引き起こした、まさに皮肉な事件だった。
事件は振り出しに戻り、警察は再捜査に入る。ドイツの新聞フランクフルター・アルゲマイネは、戦後のドイツ警察史上、最もお粗末と批判した。
2011年11月4日、アイゼナハで銀行強盗事件が発生。キャンピングカーで逃走した2人の男性は、車に放火して焼身自殺。警察は車内からハイルブロンで撃たれた警官の拳銃(H&K P2000)を発見、移民連続殺人を面白おかしく解説したDVDなども押収した。
2人の男性は、作曲家シューマンの生誕地でもあるツヴィッカウを拠点に活動する極右テロ組織「国家社会主義地下組織」のメンバーだった。2000年から2006年にかけて、ドイツ各地でドネルケバブ屋やインターネットカフェなどを経営するトルコ人移民やギリシャ人移民など、合わせて9人を殺害していた。2004年、ケルンのトルコ人街で爆弾テロを起こし、22人を負傷させる。移民排斥を目論むネオナチの連続テロに、ドイツ国民は震え上がった。ハイルブロンの女性警官殺人事件は、ようやく解決に向かった。しかし、1993年から始まった連続殺人事件は、すべて解決したわけではない。解決の道のりは険しそうだ。
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。