水中毒は大量の水を摂取することで生じる中毒症状shutterstock
アルコール類を大量に飲まずにはいられないのがアルコール依存症。酒を飲むのは個人の好みの問題であり、酒が止められないのは、その人の意思が弱いからだ----。
アルコール依存症に対するこのような考えは、臨床的に間違っている。アルコール依存症は、個人的な努力では治らない明らかな疾患であり、薬物依存症の一種だ。最近ではアルコール依存症から回復した人たちが自身の経験を発言する機会が増え、そのような社会的な認識が広がってきている。
その一方、水を大量に飲まずにはいられない「水中毒」は、病気としての社会的な認識が遅れているようである。
病気としての社会的な認知が遅れている「水中毒」
最近、水中毒に関する次のような報道があった----。
読売新聞(5月17日)によると、当時36歳の女性が統合失調症で精神病院に入院。入院したその日に、洗面台で大量の水を飲み死亡した。死亡した患者の遺族は、娘が過剰な水分摂取による「水中毒」で死亡したのは、入院先の病院が適切な処置を取らなかったためだとして、病院に対して損害賠償を求めた。
一審の福岡地裁では病院側に約3500万円の支払いを命じたが、それを不服として病院側が上告。しかし、二審の福岡高裁でも、賠償額が約2600万円に減額されたものの、病院側の過失を認める判決が出た。病院側は最高裁に上告する予定だというが、日本の裁判では、よほどのことがないかぎり高裁の判決が最高裁で覆ることはないので、「事実上、判決は確定した」と見るのが妥当だ。
水中毒は、統合失調症患者に多く発生することが分かっている。原因はまだ解明されていないが、一説によれば、抗精神病薬の副作用によって口の渇きが生じ、大量に水を飲んでしまうからではないかと考えられている。
大量に水を飲むと、なぜ人間は死んでしまうのか? それは血液の中に含まれているナトリウム濃度が減少することで、人体のバランスが崩れてしまうからだ。
血液中のナトリウム濃度が下がるほどに、病状が進行していく。はじめは軽度の疲労感。さらに水を飲み続けると、頭痛、嘔吐、精神症状。水中毒になった人たちは強迫的に水を求めるので、さらに飲んでしまう。そして、痙攣や昏睡の症状が出てくる。最終的には、呼吸困難などで死亡してしまう。
死に至ることもある「水中毒」の恐怖
人体のほとんどは水分で構成されているので、「水を大量に飲んでも、死に至ることはない」と医学の素人は考えてしまいがちだ。しかし、人体の血液、体液は、微妙なバランスを保ちながら、生命体としての機能を保持している。
たとえば、7リットルもの水が一気に体内に急に入ってきたらどうなるか----。もちろん、正常な人間が持つ水分排出能力を超えてしまう。腎臓は水分を体外に排出する役割を担っているが、7リットルの水を摂取すると、その排出能力をゆうに超え、水分は胃を通じて体内に吸収され、血液や体液に浸透していく。そして、細胞が水によって肥大し、機能不全に陥っていく。大量の水の摂取によって、人体のあらゆる場所で細胞が正常に働かなくなってしまうのだ。
あるハードボイルド小説で、水攻めによる拷問の場面を読んだことがある。主人公は屈強なヤクザから情報をとるために、口に水道のホースを咥えさせて大量に水を飲ませていく。意識が混濁する中でヤクザは重要情報を話す、という展開だ。
この場面を読んだとき、あまり迫力のあるシーンだとは思わなかった。しかし、水中毒についての知識を踏まえてからこのシーンを振り返ると、死に直結する拷問であることが分かる。
精神科病棟では、水中毒の危険性についての認識は周知されつつある。統合失調症患者の水分摂取を管理するために、さまざまな努力が行われている。
先の裁判は、入院した当日に大量に水を摂取して、その日に死亡してしまったという痛ましい事故だった。病院内で発生した水中毒による事故が、その責任をめぐって裁判となり、社会に広く知られたことで、再発防止につながると前向きにとらえたい。
(文=編集部)