画像診断とシミュレーターだけでは分かりえない人体
北大医学部解剖学の教授だった伊藤隆は、自分が病気になり入院して初めて解剖学の重要性に気づき、10年を費やしてコメディカル向けの『解剖学講義』(南山堂、1983)という名著を書いた。しかし、どんな名著でも実際に自分が人体の解剖を直に経験することを代替するのは無理だ。
このところ、病理解剖数が現在では著しく減少し、病理解剖の機会を利用して、内視鏡やカテーテル挿入のトレーニングを積む臨床医もいなくなった。
局所解剖の地図が立体的にしっかり頭に入っていないままで、内視鏡による腎臓摘出や肝臓の十二指腸乳頭部・膵臓の部分切除などを実施するのは、きわめて危険だ。人体はヴァリエーション(変異)に富んでおり、教科書に描かれた「正常図」なるものは、抽象的な概念図にすぎない。実際に人体解剖に立ち会ってみると、それがわかるから、実地に応用する場合にも臨機応変の対応ができる。
しかし、CTなどの画像診断とシミュレーターを用いて内視鏡練習しか知らない、優等生の外科医には、それがわからならい。だからフライト・シミュレーターで訓練しただけのパイロットが、いきなりジャンボジェットを飛ばすような、危ない内視鏡手術をして患者を死なせてしまう。
世の中は教科書に書いてあるのとは相当違う、ということがわからない。そのわからないということがわかっていないのだから、始末におえない。
ともあれ、医学部の新設がいろいろと計画されているが、医師を増やすだけでは医療の質はよくならない。コメディカルの質を高めることも重要であり、それにおける「人体解剖実習」はきわめて大切だ。昭和24(1959)年制定の「死体解剖保存法」は、医師以外のものの「解剖学習」を制限しており、抜本的改正が望まれるところだ。
※「医薬経済」5/1号「<人体解剖>は海外実習の時代」に触発されて。
(文=広島大学名誉教授・難波紘二)メルマガ『鹿鳴荘便り』(5/4)より抜粋、加筆