●「演じる」強迫観念
SNSを続けていくと感じる疲労感は、「ソーシャル疲れ」と呼ばれたりする。まさに、これこそがバーチャルな人間関係が引き起こす疲れだといえる。その日、その時の行動をTwitterやFacebookに書き込まねば気が済まなくなる。それも、決して日常的な暮らしの場だけではなく、「レストラン〇〇に行ってきました」「△△に遊びに行きました」と非日常での体験を書かなければいけないという強迫観念がわき起こる。もちろん、画像付きだ。
自分の書き込みやつぶやきにコメントがつくと、それに応答しなければならなくなる。「無視」していると思われたくないから、今度は友だちの書き込みやつぶやきに自分もコメントをつける。
いつまでも途切れないコメントの連鎖。しかし、Twitterのフォロワーの数やFacebookのコメントや「いいね」の数を減らしたくないから、さらにチェックは頻繁になる、書き込みも増えていく。
常に「見られている」「読まれている」という意識が働くため、中には「リアルな話題」ではなく「盛った話題」をアップする者も出てくる。過去の体験をさぞ今のものであるかのように書き込み、過去の画像をアップしたりする。すると、その反動で自己嫌悪や疲労感はさらに大きくなってしまう。
精神科医の香山リカさんは、こうした状態を「『実は自由でないのに自由に見せる』ことほど疲れることはない」と書き、それはまた「真の『個性化』というより『個性化を実現しているように見せること』》に力を注ぐことにほかならないと指摘する(『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』朝日新書より)。
この結果として、ソーシャル疲れが生じて、さらには「新型うつ」へと流れていく人も増えていくのだ。
このような疲れから抜け出すには、数日間スマホやインターネットから離れてみる「IT断食」も効果的ではあるが、再びスマホ生活に戻ってしまうと、元の木阿弥ということも少なくない。それより、SNSは続けながら、現実社会でのリアルなやり取りを増やしていくということの方が重要だろう。
現実社会でのやり取りとは、顔を合わせて話をし、手振りや身振りを交えて相手と意志を通じ合わせることである。これを「社会的手がかり」というが、SNSやインターネットにはこの手がかりが存在しないから、疲れだけが残るのである。
現実で、他人と「通じ合う」こと、他人と「衝突すること」を経験しておくことこそが、むしろ「ソーシャル疲れ」を緩和させる方法なのだろう。
【SNSによって引き起こされる可能性がある問題まとめ】
・自分で考えなくなる
・性格が怠惰になる
・新型うつになる
・疲れるようになる
・強迫観念
・演じた反動による自己嫌悪
【TOCANA初出】(2014年7月)
(文=チーム・ヘルスプレス)