映画『うさぎ追いし 山極勝三郎物語』(近藤明男監督)12月17日から東京・有楽町スバル座などで全国公開(画像は公式HPより)
コワモテの悪役、芸歴33年、ニックネーム「エンケン」こと俳優・遠藤憲一さん(55)が主演する映画『うさぎ追いし 山極勝三郎物語』(近藤明男監督)が12月17日から東京・有楽町スバル座などで全国公開されている。
人工がん研究の世界屈指のパオオニアで、ノーベル賞候補にもノミネートされた病理学者、山極勝三郎(やまぎわ・かつさぶろう)の不撓不屈の生涯を丹念に追ったヒューマンドラマだ。
20代の大学生時代から67歳で亡くなるまでを演じきった遠藤さんは「ハードルが高くて厳しかった。こんなに真っすぐな作品に主演するのは初めて。いい感じに仕上げていただいた」と苦笑しつつ振り返っている。
勝三郎の傍に寄り添った妻・かね子(水野真紀)、親友・滋次郎(豊原功補)、研究を成功へと導いた助手・市川(岡部尚)、勝三郎の娘・梅子(高橋惠子)、勝三郎の恩師・三浦(北大路欣也)など、居並ぶ実力派の競演も見所だ。夫婦愛、家族愛、郷土愛に胸を打たれるはずだ。
遠藤さんが熱演した山極勝三郎。その67年の生涯を駆け足で追ってみよう。
ドイツ留学しコレラ菌を発見したコッホやフィルヒョウに師事
幕末から倒幕、大政奉還、明治維新に至る天地動転の最中(さなか)。1863年4月10日(文久3年2月23日)、山極勝三郎は上田城を臨む町家で呱々(ここ)の声を上げる。父・上田藩士の山本順兵衛政策、母・ともの三男坊。1879(明治12)年、15歳の時、恩師・正木直太郎の肝煎りで山極吉哉の養子となり、山極に改姓する。
中学校を卒業後に上京。私立ドイツ語学校でドイツ語を、東京外国語学校で外国語、漢学、数学を履修。1880(明治13)年、17歳。東京大学医学部予科四級甲に入学、ドイツ語、漢学、ラテン語、博物学、理化学を学ぶ。22歳で東京大学医学部に進み、首席卒業。弱冠28歳で医学部助教授に就任。ドイツ留学を果たし、コレラ菌を発見したコッホやフィルヒョウに師事。結核治療薬ツベルクリンの研究に没頭。32歳で医学部教授に着任、医学博士の学位(病理解剖学)を受ける。
だが、36歳の時、研究に熱が入りすぎたのか、肺結核を発病。俳句を作り始める。静養後、『ペスト病論』『病的材料観察法』『病的材料観察法実習』『胃癌発生論』、学術雑誌『癌』などを次々と刊行する。
45歳、渋沢栄一らの援助により癌研究会を設立。47歳、病理解剖学第一講座の担任となるが、喀血して入院。野口英世が梅毒スピロヘータの純粋培養に成功した1911(明治44)年、48歳で第1回日本病理学会会長に就任。世は明治から大正へ。49歳、『脚気の研究について』を発表する。