シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第12回

松尾芭蕉の死因は? 食中毒、赤痢、感染性腸炎、胆石症、それとも旅の疲れ!?

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芭蕉は1694(元禄7)年9月12日、享年50で死去

 1644(寛永21)年、松尾芭蕉は、阿拝郡柘植郷(現在・三重県伊賀市柘植)に生誕(月日は不詳)。父・松尾与左衛門と母・梅の寵愛を受けた次男坊は、利発ながら、日がな駆け回る腕白少年だった。

 45歳の芭蕉が 、弟子・河合曾良(かわいそら)を道連れに、江戸から陸奥、松島、出羽、越後、北陸を巡り、岐阜・大垣に至るおよそ600里(2400km)150日に及ぶ「おくのほそ道」の旅に出立したのは、1689(元禄2)年5月16日。見も知らぬ国々を巡る旅では、西行や能因法師らの歌枕や名所旧跡を辿りながら、各地に名句が生まれた。

出羽三山で「不易流行」を達観

 閑さや岩にしみ入る蝉の声――5月27日、立石寺(りゅうしゃくじ)へ。全山ひっそりと静まり返っている。蝉の鳴き声だけが岩の中にしみ入るように聞こえる。動と静。胸に澄み渡る生命力。夏の一瞬が切り取られた。

 五月雨をあつめて早し最上川――6月3日、最上川へ。山野に降り注ぐ五月雨をひとつに集めたように、最上川に水が漫々とみなぎり、急流が音を蹴立てる。「水みなぎって舟あやうし」と恐しいほどの水量と勢い。息のむ間もなく詠み切った。

 涼しさやほの三か月の羽黒山 
 雲の峰いくつ崩れて月の山
 語られぬ湯殿にぬらす袂かな

 6月5日、羽黒山で身を清め、6日、月山で死に、7日、湯殿山で生き返る。芭蕉も曾良も、自己を捨て、新たな生命を得て生き返ろうとする。出羽三山に至って、芭蕉は不易流行を達観した。

 荒海や佐渡によこたふ天の河――7月4日、出雲崎(いずもざき)へ。出羽三山でシュールな句境に目覚めた芭蕉は、暗い荒海を前に天啓が閃き、バーチャルな幻視像を秀句に仕込んだ。

 8月28日、大垣に着く。150日間600里(約2400km)の旅の草鞋を脱いだ。「おくのほそ道」の旅で、芭蕉は多くの門人の知己を得た。歌枕の地に赴き、不変と変転を実感しつつ、不易流行を体得した。

門人らのトラブルや、連日の句会で体力を消耗か?

 旅から5年。1694(元禄7)年9月、門人の之道(しどう)と珍碩(ちんせき)の不仲を取り持つため大坂へ。だが、若い珍碩は仲介を拒んで失踪。心労が芭蕉にのしかかる。9月4日からの連日の句会がたたったのか、急に体調を崩し、発熱、頭痛、下痢を訴える。一旦は回復、俳席にも立つが、容態は悪化する。10月8日、御堂筋の花屋仁左衛門の座敷に伏しつつ、病中吟を詠む。

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 病床で「なほかけ廻る夢心」とするか、「枯野を廻るゆめ心」とするかと思案。10日、遺書をしたためる。12日、申の刻(午前4時頃)、絶命。享年50。13日、遺骸は近江の義仲寺へ。遺言に従い、木曾義仲の墓の隣に埋葬。焼香した門人80名、300余名が会葬に参列した。

食中毒か? 赤痢か? 感染性腸炎か? 芭蕉の死因を推理!

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