西アフリカではエボラ出血熱感染者が1万人を超え、死者も4900人を超えている。厚生労働省は、日本で発症者が出る確率は「低いがゼロではない」と言っているが、グローバリゼーションが進む現代、中国経由等で日本に上陸するのは時間の問題と考えてよいのではないか。
現在、世界において研究段階の薬剤はあるものの、効果や安全性が確認されているワクチン、治療薬はない。世界保健機構(WHO)によると、エボラ出血熱の致死率は50%近い。人類が直面している最も危険な病気のひとつといえる。エボラ出血熱は西アフリカだけではなく、次第に先進諸国にも拡大しつつある。アメリカではすでに死者もでている。感染症の前では富める人も貧しき人も平等なのだろうか?いや、そんなことはない。
富める者は治る可能性も大―デジタルデバイド
エボラ出血熱の治療にも大きな格差は存在する。エボラ出血熱に対する治療薬がないということは、エボラ出血熱にかかれば必ず死ぬということではない。エボラ出血熱にかかっても死ぬ人もいれば、そうでない人もいる。死と生をわけるものは一体何か?さまざまな理由があるが、突き詰めて言えば、「お金」だ。
エボラ出血熱にかかっても迅速に、適切な病院で治療すれば治る可能性は高い。問題はどこが「適切な病院」なのか、ということだ。アメリカには、エボラ出血熱のような非常に感染性の高い疾病を長年研究している中心的な機関が4つある。(1)国立衛生研究所、(2)エモリー大学病院、(3)ネブラスカ大学メディカル・センター、(4)セント・パトリック病院である。
このような適切な情報をいち早く入手できる情報リテラシーの高い人は生活水準・教育水準が高いとも言われている。貧富の差が情報リテラシーの格差、つまりデジタルデバイドを生みだし、エボラ出血熱にかかった際の生死を分けるひとつの大きな要因になる。
ダンカン氏:アメリカ初のエボラ出血熱の犠牲者とお金
アメリカにおいて、エボラ出血熱で初めて死亡したのは、トーマス・エリック・ダンカン氏だ。
彼は2014年9月30日にエボラ出血熱と診断され、10月8日に亡くなった。実は、ダンカン氏は9月25日に病院に行っていた。彼は病院の人にリベリアから帰国して間もないと伝えた上に、発熱、嘔吐、腹痛等エボラ出血熱の兆候があった。にもかかわらず、病院はエボラ出血熱のウィルス検査を施さなかった。なぜか?
ダンカン氏はER(救急処理室)へ駆け込んでいたのだ。急病だったのだろうか。そうではないだろう。急病でも緊急の事故でもないのに、アメリカでERに行く人といえば、医療保険をもっていない人だ。アメリカの法律は、たとえ患者に支払能力がなくても、救急医療だけは必ず提供しなければならいということを義務付けている。やはりダンカン氏は医療保険に入っていなかった。費用を徴収できないだろうと踏んだ病院側は法律にしたがって適当に緊急医療を施し、ダンカン氏を家に帰した。金のない者に手間ひまかけられないという「合理的な」判断が働いたのだろう。
エボラ出血熱と診断されてから死亡までの9日間の入院中、ダンカン氏の親戚筋によると、どれほど懇願しても、未承認薬剤等の投与や最先端医療技術はほとんど使われなかったという。無保険者には病院側もあまり「無駄な」お金をつかいたくなかったのかもしれない。
ウィルス感染症で入院した場合、アメリカでは通常は1日25000ドル程度かかと言われる。お金に糸目をつけなければ、世界最先端の医療を受けることも可能だ。入院したのがダンカン氏ではなく、ビル・ゲイツだったら治療方法は変わっていたに違いない。(文=編集部)