日本でも江戸時代からインフルエンザが流行か
日本の最も古いインフルエンザの記録は、『三代実録』(862年) の「1月自去冬末、京城及畿内外、多患、咳逆、死者甚衆…」という記述だ。その後、『源氏物語・夕顔』(1008年頃)に「この暁よりしはぶきやみには侍らん」、『大鏡』(1010年)に「一条法王がしはやぶきやみのため37歳で死去」と記載されている。また『増鏡』(1329年)にも「今年はいかなるにか、しはぶきやみはやりて人多く失せたまうなかに…」との記述が見られる。
医学書においては、日本最古の医学書『医心方』(丹波康頼)(984年)にある「咳逆(之波不岐/しはぶき)」が、風邪症候群、肺炎、肺結核、インフルエンザなどの兆候を差し示している。
江戸時代に入ると、インフルエンザを連想させる「かぜ」「はやりかぜ」の記述が多くなる。1776年に流行した「風邪」は、当時人気の高かった浄瑠璃「城木屋お駒」という“毒婦”の祟りにちなみ、「お駒風」という呼び名がつけられた。その後も流行した風邪には呼び名がつけられ、1784年は横綱の谷風梶之助が苦闘した「谷風」、1802年は八百屋お七の小唄に由来する「お七風」、1807年はねんねんころころ節にちなむ「ネンコロ風」、1821年は小唄の”ダンホサン・ダンホサン”が囃し立てた「ダンホ風」などに民衆は苦しめられてきた。
「薩摩風」「津軽風」「琉球風」と流行地を冠したネーミングが多いのも、インフルエンザの強い感染力を表してのことだろう。1856年の開国で下田に上陸した米国人が流行らせた「アメリカ風」という呼び名も残っている。ちなみに、インフルエンザを『印弗魯英撒』と『医療正史』に初めて訳したのは、江戸神田の種痘所を立ち上げた伊藤玄朴(1800~1871年)だ。
そして、明治維新の御一新に湧く世相が冷めやらない1874年2月の関西と、8月~10月の関東で猛威を振るった「稲葉風」がインフルエンザの最初の大流行となる。その後、1890年にインフルエンザが世界的に蔓延してからは、日本では「流行性感冒(流感)」と呼び習わし、1951年2月2日付けの官報で「インフルエンザ」を公式用語として使用した。
世界的な視野から見れば、1917年~1919年にかけて大流行したインフルエンザ「スペイン風邪」の恐るべき余波は、全世界で罹患者6億人、死者2000~4000万人、日本で罹患者2300万人、死者38万人を軽々と呑み込んだ。当時の日本の新聞を見ると、流感熱に浮かされたような大見出しが躍っている。「流感の恐怖時代襲来す!一刻も早く予防注射をせよ!」。
(文=編集部)