青天の霹靂の逮捕劇は、なぜ起きたのか?
今年4月25日、カリフォルニア州警察は、1978年にサクラメント郡で発生した新婚夫婦の殺害事件など5事件8人の殺人・暴行容疑で、サクラメント郡郊外のシトラス・ハイツ市内で娘と孫娘の2人と同居するディアンジェロ(72)を緊急逮捕。未解決の殺人・暴行事件の他、120件以上の強盗などの余罪175件の捜査に着手した(BBCワールドニュース:2018年4月25日)。
青天の霹靂の逮捕劇は、なぜ起きたのか?
カリフォルニア州は、2000年代に入り、DNAデータベースの常設を決定し、同州の犯罪歴のあるすべての人物のDNA型を保存している。その功あって多くの未解決事件を解明するが、「黄金州の殺人鬼」は逮捕できない。サクラメント郡の検察当局者は「干し草の中で針を探す」ように困難な捜査に疲弊しつつ、何度も断念したい誘惑にかられる。
しかし、蛇の道は蛇。地を這うかのように24年間、1日たりとも手を抜かずこの事件を嗅ぎ回っていた男がいる。コントラコスタ郡地方検事局のポール・ホール捜査官だ。ホール捜査官は、定年退職がカウントダウンに入った瀬戸際にもかかわらず、鬼気迫る形相で最後の賭けに出る。
カリフォルニア州警察によると、市民などから寄せられた不審者通報などからディアンジェロが捜査線上に浮上。廃棄物から採取したDNA型をDNAデータベースと照合したところ、ディアンジェロのDNA型と一致。「DNA鑑定は、すべてディアンジェロの犯行と断定した。求刑は死刑だ」。ホール捜査官は、胸を張る。
誰でも自由にDNAデータを登録し家系図を調べられるDNA共有サイト「GEDマッチ」
さて、ディアンジェロのDNA型を特定したのは、DNAデータベースだ。だが、もう少し正確に言えば、カリフォルニア州警察は、DNAデータベースから家系図を調べる共有サイト「GEDマッチ」を活用しことから、ディアンジェロの逮捕につながった。流れはこうなる。
カリフォルニア州警察は、DNAデータベースの共有サイト「GEDマッチ」に犯行現場に残されたディアンジェロのDNA(古い血痕や精液などの暴行物証を保存するレイプ・キット)を登録する→年齢や居住地から対象となる対象者を絞り込む→25家族約1000人の存在を把握する→血縁者10~20人を特定する→ディアンジェロのDNA型に共通するDNA型を持つ血縁者(マッチ)2人のDNAとディアンジェロのDNAを照合する→ディアンジェロを特定する。
移民社会の米国は、自分のルーツへの関心が高い。自分のルーツを知る権利意識が強い。異人種間の結婚が増え、養子縁組が多いため、実親を探す人も少なくない。このような事情から、全米でDNA鑑定による家系図作成を手掛ける民間のDTC(Direct-to-Consumer)遺伝子検査サービスが普及。利用者は、およそ1200万人を数える。
ただ、500万人以上が利用する「23アンド・ミー」は、裁判所の命令がない限り、捜査機関に情報を提供しない。一方、「GEDマッチ」(登録者およそ100万人)は、誰でも自由にDNAデータを登録し、家系図を調べられるオープンデータベースだ。
登録データが犯罪捜査に使われる可能性があるため、利用規約に「殺人や性的暴行等の凶悪犯罪の捜査で、犯人の特定を目的とした捜査機関からの遺伝子情報の提供を受け付けることに全ての利用者は同意する」と明記している。
容疑者や真犯人を特定する「GEDマッチ」の躍進は、眼を見張るものがある。1987年のシアトル近郊で2人が殺害された事件など、多くのコールドケースを解決しているからだ。1968~1974年の連続殺人事件「ゾディアック・キラー」や、1996年のコロラド州ボルダーで起きた「ジョンベネ殺害事件」などの難事件も解決できるのではないかと目されている。
「GEDマッチ」の創設者、カーティス・ロジャース氏は、「事件後は1日に1500人が入会することもある。犯罪捜査など正義の実現を手助けできるなら入会したいという声が強い」と語っている。
「GEDマッチ」の家系図サイトは、遺伝子系図学に基づくDNA情報を提供し、先祖や血縁者を検索するサービスだが、互いの存在すら知らない血縁者も発見できるので、新たな親戚付き合いが始まる時もある。
遺伝子系図学は、DTC遺伝子検査サービスや「GEDマッチ」に登録されたDNAデータベースを利用し、生物学的な先祖や血縁者を追跡して家系図を作るため、すべての子孫の血縁関係を特定する。したがって、容疑者の属する家系図も簡単に解明できる。両親とその子どもならDNAの50%を、従兄弟同士なら12.5%を共有するからだ。
個人のプライバシーに及ぼすリスクも
しかし、見逃せない重大問題がある。家系図サイト「GEDマッチ」が個人の潜在的な疾病の発症リスクなどを含む遺伝子データを安易に開示すれば、捜査機関だけでなく、製薬企業や保険会社が悪用する恐れは否めない。
不本意な検索や悪用を恐れるならDNAデータベースに登録したプロフィールを削除すればよい。だが、公私を問わず第三者が個人のプライバシーや人権を奪う行為を容認する根拠は何もない。
真犯人の逮捕、凶悪犯罪の抑止か? 個人のプライバシーを暴く人権侵害か? それが難題だ。
DTC遺伝子検査サービスの指針を策定した非営利団体「フューチャー・オブ・プライバシー・フォーラム」は、業界が個人のプライバシーに及ぼすリスクを認識し、対処することが重要だと指摘するのも当然だ。
ただ、今回のディアンジェロの逮捕が象徴するように、DTC遺伝子検査サービスが安価になり、「GEDマッチ」が普及すればするほど、個人が匿名のまま生活を続けることは難しくなるだろう。もちろん、容疑者や真犯人が逃げ切れなくなるかもしれない。
閑話休題。目を日本に転じよう。国内のコールドケース(迷宮入り事件)は、増えている。たとえば、3億円強奪事件、餃子の王将社長殺害事件、世田谷一家殺害事件、柴又上智大学女子大生放火殺人事件、八王子スーパー強盗殺人事件などを解決する糸口はあるだろうか?
コールドケースは、犯人に罪を償わせる機会を奪うだけでなく、被害者と遺族の苦しみが続き、犯人による再犯の恐れがある。しかも、社会の重大な脅威を及ぼし、捜査当局(警察や検察庁)、裁判所の信用も地に堕ちる。
警視庁は、2007年に捜査特別報奨金制度を導入。2009年11月、警視庁捜査一課内に未解決の殺人事件などを専門に扱う特別捜査チーム「警視庁特命捜査対策室」を作り、コールドケースの解決に着手。過去の捜査を再検証しながら、DNA鑑定などの科学捜査によって容疑者の逮捕をめざしている。
2010年4月、殺人罪・強盗殺人罪などの公訴時効廃止や故意に死に至らしめた罪の公訴時効延長などを盛り込んだ刑事訴訟法と刑法の改正案が成立。警察庁は未解決事件の捜査専従班を警視庁と各道府県警察に設置、専従捜査員や地方警察官を増員し、捜査体制を強化している。
このように日本の警察行政の改革や法整備の進展、様々な模索や試行錯誤はある。ただ、米国のようなDTC遺伝子検査サービスが十分に普及していないうえに、家系図サイト「GEDマッチ」のような「先祖探し」への国民の意識や関心があまり強くない。しかも、DNAデータベースの法整備が遅れているなどの状況を考慮すれば、コールドケースの真犯人の逮捕に直結する蓋然性は弱いと言わざるを得ない。
ディアンジェロのような凶悪犯を野放しにする社会は、決してフェアではない。法治国家なら、さらに犯罪のない安全・安心な社会を築かなければならない。
(文=佐藤博)
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。