本田美奈子.享年38(画像は『本田美奈子.クラシカル・ベスト~天に響く歌~』より)
11月6日は38歳の若さで亡くなった本田美奈子の命日だった。宇宙のビッグバンの瞬間を目撃した人はない。我が臨終の刹那を看取って旅立った人もない。見果てぬ夢を追い求め、歌、ダンス、恋、患者支援に夢を紡いだ、不世出の女性シンガーもいない。「アメージング・グレース」を絶唱した、この歌姫を除けば、誰ひとりも。
本田美奈子が闘った病は急性骨髄性白血病(AML)だった。
闘病中に白血病患者を支援する特定非営利活動法人「Live for Life」を立ち上げる
彼女に何が起きたのか? 急死の前年2004(平成16)年の年末頃から風邪のような症状や微熱に悩まされる。明けて1月12日、順天堂大学病院を往診すると、急性骨髄性白血病(AML)の診断。青天の霹靂と驚く間もなく緊急入院。翌日、発病をマスコミに発表。騒然となる。
急遽、無菌室に入る。2度にわたって抗がん剤治療を続ける。だが、稀な治療抵抗性を持つ予後不良のM7(急性巨核芽球性白血病)のため、寛解(がん細胞が十分に減少する状態)に至らない。医師団は骨髄移植を決意するものの、骨髄バンクのドナーを見つける猶予もないほどの重い病態に頭をかかえる。寛解の望みはないのか……。
5月、臍帯(さいたい)血移植を受け小康を保つかに見える。希望はまだある。だが、7月末に一時退院後、やがて再発。高熱も収まらず、9月8日に再入院。輸入新薬による抗がん剤治療に希望を託すが、病魔は残忍にも時を刻む手を緩めない。
10月に再度一時退院。10月19日、白血病患者を支援する特定非営利活動法人「Live for Life」を立ち上げる。「生きるために生きる」の願いと勇気を奮って、自分が病魔を克服すれば、白血病患者の励みになるはず! 入院中もストレッチや発声練習を欠かさない。入院患者や看護師らのために歌う気力も情熱もある。復帰の意欲も希望の光もひたすら絶やさない。
10月末に再入院。貧血、息切れ、動悸、倦怠感、発熱。腹部痛、腰痛、関節痛、頭痛。重篤な全身疾患がやせ衰えた病身を執拗に苛む。病態混濁のまま、やがて肺への合併症を発症、昏睡。11月6日、家族らに看取られ、不帰の人となる――。
闘病300日たらず。その夭逝を惜しむおよそ6000人が告別式に参列。法名は、釋優馨(しゃくゆうしょう/優しく歌う人)。墓所は、埼玉県朝霞市の広称寺(こうしょうじ)にある。
急性骨髄性白血病とは何か?
本田を落命させた急性骨髄性白血病(acute myelogenous leukemia:AML)とは何か? シリーズ「第4回:夏目雅子「急性骨髄性白血病」が奪った27歳の命 闘病わずか7ヶ月で夭逝」に詳しい解説があるので、別の視点から本田の病因を見よう。
急性骨髄性白血病(AML)が発症する原因は2つ――。1つは、骨髄で白血病細胞が増加するため造血機能が低下し、正常な血液細胞が作れないために起こる。もう一つは、白血病細胞が各臓器に浸潤するために起こる。このような骨髄芽球の遺伝子異常の結果、がん化した細胞(白血病細胞)が無制限に増殖し発症に至る。
急性骨髄性白血病(AML)は病状の進行が速いので、急に症状が出現する頻度が高く、早期の診断と速やかな治療が要になる。治療は、白血病細胞を抗がん剤によって減少させ、顕微鏡検査で白血病細胞が認められない状態(寛解)に到達させる「寛解導入療法」と、さらに抗がん剤による化学療法によって残存する白血病細胞の全滅(Total cell kill)をめざす「寛解後療法」を併用する。だが、「寛解後療法」は、一定期間継続しても再発率は低下せず、むしろ治療に伴う治療抵抗性や副作用が大きくなるので、「寛解後療法」の回数は4回までとされる。