>  >  > オードリー・ヘプバーンを襲った「腹膜偽粘液腫」とは
シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第18回

発症率100万人に1.5人 オードリー・ヘプバーンを襲った「腹膜偽粘液腫」とは?

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 1992年9月、オードリーは、ユニセフの親善活動で赴いていたソマリアからスイスの自宅へ戻る。その直後、腹痛を訴え、10月に精密検査を受けるためにロサンゼルスのシダーズサイナイ医療センターへ向かう。11月1日、腹腔鏡検査で、悪性腫瘍が虫垂や小腸へ転移している事実が判明。極めて稀な腹膜偽粘液腫(ふくまくぎねんえきしゅ)だった。抗がん剤フルオロウラシルとフォリン酸を投与する化学療法が始まる。だが、手術後、腸閉塞を発症し、12月1日、再手術。すでに悪性腫瘍が全身の部位に転移し、手の施しようがなかった。

 オードリーの余命は迫った。オードリーの衣装デザイナーだったユベール・ド・ジバンシィは、メロン財閥のポール・メロンの妻レイチェル・ランバート・メロンに頼み、メロンが所有するプライベートジェット機をヘプバーンのために手配する。花々で満たされたジェット機は、オードリーをロサンゼルスからジェノヴァまで運んだ。

 1993年1月20日の夕刻、オードリーは、スイスのトロシュナの自宅で息を引き取る。『ローマの休日』で共演したグレゴリー・ペックは、オードリーが愛誦していたラビンドラナート・タゴールの詩を涙ながらに朗読。1月24日、葬儀は、ロシュナの教会で行われた。ユニセフからサドルッディーン・アーガー・ハーンが弔辞を寄せる。家族、友人の他、元夫のアンドレア・ドッティとメル・ファーラー、ユベール・ド・ジバンシィ、アラン・ドロン、ロジャー・ムーアらが参列。グレゴリー・ペック、エリザベス・テイラー、オランダ王室の献花が届く。オードリーは、トロシュナを一望する小高い丘の墓地に安んでいる。

 死因の腹膜偽粘液腫は、虫垂や卵巣などからゼラチン状の大量の粘液や腫瘍細胞が発生・増殖する難病だ。最初に腫瘍が発生した虫垂や卵巣などの原発巣(げんぱつそう)が破れ、腹腔内に粘液と腫瘍細胞が拡散する腹膜播種(ふくまくはしゅ)に至る。原因は不明だ。

 軽度なら、腹痛、吐き気などの症状に留まる。重度になれば、粘液状の腹水によって妊婦のお腹のように膨らむ。粘液が塊になると、内臓を圧迫する。日本では100万人に約1.5人しか発症しない稀少疾患だ。50歳前後の女性が多いが、性別や年齢に関係なく発症する。進行が緩慢で自覚症状も弱いケースがあるため、発見が遅れる。さらに、腸閉塞を伴い、栄養失調に陥り、危険な病態に陥る。

 虫垂や卵巣などの原発巣は、血流が乏しいため、投与した抗がん剤が分布しにくい。しかも、腫瘍の増殖が遅く薬剤が効きにくく、細胞が死滅しても粘液が残存しているため、化学療法がほとんど効かない。

 したがって、腹膜切除は、偽粘液腫に侵されている腹膜を完全に切除する唯一の手術法になる。だが、粘液の完全な除去は非常に困難なので、腫瘍細胞が再発し、抗がん剤による化学療法が効かないため、根治はむずかしい。現在でも標準治療が確立されていない難病であることから、オードリーの快癒は望めなかったかもしれない。

 好きなファッションを着こなすように、人生のあり方、楽しみ方をさりげなく身につけていたオードリー。死の向き合い方も、背伸びや気負いはなかったに違いない。生成りのような素朴さ、絹のような品のよさ、コスモスのような愛らしさ、処女のような無邪気さ……。それが、オードリーの天性の魅力だ。

 2014年1月、未公開だった主演映画『マイヤーリング』(1957年/アナトール・リトヴァク監督)が公開された。『ローマの休日』から4年後に製作された情熱的なラブロマンス。最愛の夫、メル・ファーラーと共演、許されない愛を求めるヒロインを演じるオードリー。永遠の妖精のピュアな美しさに魅せられる。

 「魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること!」


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

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