影響の受けやすさには個人差があるため、メチル水銀が影響は必ずしも断定できない
影響の受けやすさには個人差があるため、多く摂取した母親の子どもが必ずしも悪影響を受けるとは断定できない。なぜなら、今回の研究成果は、個人レベルではなく、集団として知的障害と判断される子どもの比率が高まる1つの論拠を示した疫学調査に過ぎないからだ。
たとえば、メチル水銀の影響がなくても、知的障害の子どもが産まれる確率は1000人当たり約23人だ。メチル水銀を多く摂取し、ベイリー検査の点数が約5%下がると、運動機能障害の子どもが産まれる確率は1000人当たり約48人になる。
また、子どもの運動能力や知能の発達は、遺伝や教育など、さまざまな環境要因が関わる。しかも、低濃度のメチル水銀と子どもの脳の発達の因果関係は未解明だ。したがって、個々の子どもに知的障害が疑われても、メチル水銀が影響したかどうかは必ずしも断定できない。
メチル水銀が影響した「水俣病」の発生から60年
メチル水銀と聞いて想起されるのは「水俣病」だ――。
1956(昭和31)年5月。「痛い!」「見えん!」「聴こえん!」……。水俣湾や八代海の周辺住民たちが心身の急変や失調を訴え始めた。四肢末端の感覚障害、運動失調、 求心性視野狭窄(きょうさく)、 聴力障害、知能障害、構音障害(言葉の発音の障害)などの中枢神経系疾患だ。
化学工業会社のチッソ水俣工場が垂れ流したメチル水銀の廃液が水俣湾や八代海に生息する魚介類を汚染し、夥しい住民に甚大な健康被害の惨禍をもたらしたのだ。
さらに9年後の1965(昭和40)年5月。昭和電工がある新潟県阿賀野川流域の住民たちからも悲痛・苦悶の声が響き渡った。
1968(昭和43)年、厚生省(当時)は「チッソ、昭和電工の両工場が排出したメチル水銀化合物が魚介類に蓄積し、その魚介類を食べた住人に発生した中毒性の中枢神経系疾患、それが水俣病である」と認定した。
八代海沿岸で2282人、阿賀野川流域で693人、水俣病被害者救済法による対象者は約3万人
1969年からは認定患者に対して、保健手帳による医療費や通院費などの給付が実施されている。2016年9月現在、水俣病の認定患者は八代海沿岸で2282人、阿賀野川流域で693人。水俣病とは認められていないが、感覚障害などの症状がある救済事業の対象者は約1万人、2009年の水俣病被害者救済法による対象者は約3万人に上る。
10月29日、今年も水俣病の犠牲者を追悼する犠牲者慰霊式があった。遺族を代表して60年前に水俣病で夫を亡くした大矢ミツコさん(90)が祈りの言葉を捧げながら、こう訴えた。
「私のような悲しみは、もう誰にもしてほしくありません。同じ水俣の中で、いがみ合ったりするような苦しみはもう嫌です。チッソは主人に本当に『すまなかった』と思うなら逃げたりしないで、水俣病のことをちゃんと伝えてほしいです」
四大公害病と呼ばれる「水俣病」「第二水俣病(新潟水俣病)」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」は、戦後社会に課せられた負の遺産だ。高度経済成長に乗じて、産業資本と結託した科学技術の暴走であった。