妻ヒラリーの愛と勇気がクリントンの背中を押した
2004年6月、クリントンは957ページもの長編自伝『マイ・ライフ クリントンの回想(My Life)』を出版。不倫騒動の一部始終を赤裸々に明かす。だが、クリントンが幾多の難局を乗り切れたのは、妻ヒラリー・クリントンの寛大なアシストや、民主党の根強いサポートがあったからだ。
1993年から2001年までファーストレディを務めたヒラリーは、不倫スキャンダルの嵐の真っただ中で何を考えていたのか? 1998年1月、NBCテレビのインタビューに答えて、「これは戦争。仕組まれたとてつもない右派の陰謀」と語った。ヒラリーは、浮気を本気で信じていなかったのか?
民主党の党員集会では、「夫の行為を好ましく思っていないが、弾劾裁判には結びつかない。あくまでプライベートな問題だ。Dare to Compete(あえて戦いにいどむ)」とスピーチ。ヒラリーは、弾劾裁判の渦中にあった夫を支えながら、上院議員になって新しい自分をめざそうと決心する。
学生時代から信頼と絆を育んできた二人だ。夫の不貞を乗り越え、精神的苦痛を乗り越えようとするヒラリー。その毅然としたポジティブな態度は、大衆の胸を打った。ヒラリーの心情を理解するクリントン。二人は励まし合い、新たな未来へ舵を切る。
ヒラリーは、史上空前の3000億円もの選挙資金を集めて、2016年11月の大統領選挙に出馬する。投資家ウォーレン・バフェットは、「ヒラリーが勝つよ。賭けてもいい」と笑う。レディー・フォー・ヒラリー(ヒラリーを大統領に)。米国初の女性大統領が誕生するのか?
クリントンが大統領だった時、立ち寄ったガソリンスタンドで、ヒラリーは元カレに会った。クリントンが「彼と結婚していたら、君は今頃ガソリンスタンドのおかみさんだったろうね」と言うと、ヒラリーは「私が彼と結婚していたら、今頃は彼が大統領よ!」と言い返した。
「僕と結婚していなかったら、君は大統領になれなかったよ」。クリントンが、そう言い返せる日は近いかもしれない。
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。