入口には「止まれ! ここは死の帝国なり」の言葉が
写真 Wikimedia Commonsより
写真 envol-moiより
1810年、ナポレオンはローマのカタコンベの名声に打ち勝たんと、新しい局長ルイ=エティエンヌ・エリカール・ド・チュリに命じ、パリのカタコンブを大きな記念碑となるように改装させている。
このとき、チュリは骨の配置を考案し、大腿骨と腓骨を壁に積み上げ、その上に頭蓋骨を置き、さらに腕と足の骨、頭蓋骨を重ねた。肋骨や脊椎骨は表から見えないように内側に積んだ。通路のあちこちに石碑が作られ、それぞれの骨がどこの教会墓地から移送されたのかをわかりやすく示し、入口にはジャック・ドリールの言葉「止まれ! ここは死の帝国なり」が掲げられた。
また、カタコンブに入るには約200ヵ所もの抜け道があるといわれるが、チュリは公式の入口をひとつにして、「地獄門」と命名した。
宗教的な信仰心よりも大衆的な関心へ
パリのカタコンブが人気となったのは当然だった――。毎月第1月曜には高額な入場料を取って蝋燭を灯した限定200名のツアーが催され、骨の山に見とれる金持ちたちの姿が新聞雑誌に挿絵で紹介されて注目を集めた。
このカタコンブ・ド・パリは、19世紀以降に整備された他の納骨堂にも大きな影響を与えたといわれる。この頃からカタコンベは宗教的な信仰心よりも芸術的な様式美やロマン主義的感性と結びつき、大衆的な関心をひくものへと移行していったという。
その後もカタコンブは、パリ市民とともにフランスの動乱の歴史を体験していくこととなる。第二次世界大戦中にはナチスに抵抗するフランスのレジスタンスたちの隠れ家となり、ゼロ年代に一時封鎖される前にはストリートギャングが住みつくなど、数々の裏の歴史の舞台にもなってきたのである。
全長2キロメートルともいわれる骨の道
実際に訪れてみると誰もがその深さ、その長さ、遺骨の膨大さに圧倒されることだろう。全長2キロメートルともいわれる骨の道は、ひたすら1時間歩き続けなければ出口には辿り着けない。
決して楽しいとか、面白いとか思っている余裕はない。暗い通路を照らす灯り、湿度が高く密閉された空間の息苦しさ、人骨から放出される臭いと白い粉が充満している。
カタコンブはある意味で「死後の世界」の実体験である。そこでは物質としての人骨が我々を死の世界に誘ってやまない。だから、出口に向かって必死に歩き続けるしかないのだ。
【基本情報】
カタコンブ・ド・パリ
Les Catacombes de Paris
http://www.catacombes.paris.fr/
【参考文献】
ポール・クドゥナリス著『死の帝国』(創元社)
ケロッピー前田(けろっぴー・まえだ)
1965年、東京生まれ。千葉大学工学部卒後、白夜書房(コアマガジン)を経てフリーランスに。世界のアンダーグラウンドカルチャーを現場レポート、若者向けカルチャー誌『ブブカ』『バースト』『タトゥー・バースト』(ともに白夜書房/コアマガジン)などで活躍し、海外の身体改造の最前線を日本に紹介してきた。近年は、ハッカー、現代アート、陰謀論などのジャンルにおいても海外情報収集能力を駆使した執筆を展開している。著書『今を生き抜くための70年代オカルト』 (光文社新書) が話題に。近著に『CRAZY TRIP 今を生き抜くための“最果て"世界の旅』(三才ブックス)がある。