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【連載「Universal Jintai Japan(UJJ)=人体迷宮の旅」第6回】

全長約2キロ!パリの地下20メートルに作られた世界最大規模の巨大墓地「カタコンブ・ド・パリ」

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パリの地下に眠る約600万体の遺骨(shutterstock.com)

 カタコンベあるいはスカル・チャーチ(骸骨寺院)と呼ばれる巨大納骨堂は、ヨーロッパ全土で見られるが、それらは14~15世紀から多く作られ始めたという。たとえば、著者が訪ねたチェコのチャーネルハウスはペスト大流行や戦乱が続いたことによって、身元不明の遺体が大量に発生し、墓に埋葬できぬまま置き場に困って教会に集められた結果、白骨化したものが積み重ねられて生まれたという。

 そのような伝統的ともいえる巨大納骨堂の成り立ちは、あらためて、具体的な事例をあげてみていきたい。

パリの地下20メートルに作られた世界最大規模の巨大墓地

 今回、ここで大きく取り上げたいのはパリのど真ん中、地下20メートルに作られた世界最大規模の巨大墓地カタコンブ・ド・パリである。前回紹介したフラゴナール博物館を訪ねたのち、パリでどうしても行きたかったところであり、いまやネットで話題の観光名所になっている。地下鉄のダンフェール・ロッシュロー駅を降りるとすぐ目の前にその入口がある。
 
 パリでは古くから市内のキリスト教会の敷地に墓地が作られ、都市の過密化とともに収容限界を超えた墓地問題が浮上していた。その中でも貧民層のために作られたサン・イノサン墓地は、5世紀頃から膨大な死体を埋蔵し続け、パリ最大の墓地となっていた。18世紀にはその盛り土が道路よりも2メートルも高くなっていたほどで、もはや土壌は遺体を分解することができず、近隣の井戸も不衛生な状態となる危険性も高まっていた。

 それでも1765年にパリ市議会が墓地の撤去を決定するまで、サン・イノサン墓地周辺は大勢の人が行き交う商業の中心地であり、さまざまな商いで賑わい、売春さえも行われていた。パリ市民による墓地へのゴミの投棄も事態を悪化させ、疫病の蔓延まで招いていたという。その時点で、そこには約200万体の遺骸が存在した。

モンテスキュー、パスカル、ラブレーなど約600万体の遺骨が

 1785年、墓地移転のための組織委員会が設立され、パリの都市開発のために掘られた古い採石場への骨収納という、警視総監アレクサンドル・ルノワールによる提案が採用されることとなった。すでに地下に張り巡らされた総距離280キロメートルの巨大トンネルがあり、採石場監督局局長シャルル=アクセル・ギヨモが、その任務にあたった。

 1786年4月7日、トンネルの一区画が聖別され、祈りを捧げる聖職者の行列に続き、最初の遺骨がサン・イノサン墓地から運び込まれた。サン・イノサンの墓地と納骨堂を空にするのに15ヶ月を要したという。この骨の移送がうまくいったことから、市内の他の墓地についても骨の移送が進み、作業は1880年代まで細々と続けられた。

 その結果、約600万体の遺骨を収める世界最大の納骨所となった。いまやどの骨が誰ものかはわからなくなっているが、モンテスキュー、パスカル、ラブレーなどの遺骨もこれらの中に含まれているという。

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