解剖学者フレデリック・ルイシュが手掛けた医学標本
まるで羊水の中にいるような保存法/spoki.tvnet
顔面奇形のコレクションも多い/Russian soul
膨大な量のホルマリン標本/SAINT-PETERSBURG.COM
クンストカメラのコレクションの中でも、飛び抜けた人気を集めてきたのは、オランダの解剖学者フレデリック・ルイシュ(Frederik Ruysch /Фредерік Рюйш)が手掛けた医学標本である。ピュートル大帝は、1697年にルイシュの標本コレクションを初めて観て、その素晴らしさに魅了され、すぐさま丸ごと買い取り、のちにクンストカメラに収められた。
ルコシェの特徴は、現在も全く見劣りすることのない完成された人体保存技術もさることながら、標本にレースの洋服を着せたり、顔に化粧を施すなど、医学標本を芸術作品といえるレベルにまで高めていたことにある。その標本の生々しさは、死体のグロテスクさを超えて、徹底した唯物論と近代精神に裏打ちされた美しさを讃えている。
1638年生まれのルコシェは、解剖学を飛躍的に進歩させた人物として知られる。人体の組織ならびに静脈に蝋や水銀などを注入して、死体を乾燥させても干からびない保存方法を編み出し、防腐剤も開発していた。また、私設解剖学博物館を所有しており、クンストカメラ所蔵の標本は、その博物館のコレクションであった。
さらにルイシェは、大著『解剖学宝函(Thesaurus anatomicus)』の図版にある、内蔵を積み上げ、血管や神経を草木のように配置し、何体もの子供の骨格がポーズをとる“内蔵盆栽”のような標本も制作していた。彼は解剖学の権威にして、「驚異の部屋」の時代の申し子というべき存在であった。
精密であるほど不気味なものばかり……
クンストカメラには、大帝自身がおふれを出して、ロシア中の奇形児を蒐集して標本にしたものも多い。また、大帝の妻エカテリーナ一世の愛人ウィレム・モンスと、彼の妹アンア・モンスの頭部も標本にされている。
実際にクンストカメラを訪れると、館内の主な展示は、各国の民族資料やそれをもとに制作された原寸の人形に占められている。特にエスキモーやインディアンに詳しく、アジア、南米、アフリカなど、ソ連時代にロシア人が現地調査に赴き、蒐集されたものも多い。どれも社会主義的な生真面目さで作られており、精密であるほど不気味なものばかりである。
クンストカメラを訪れて強烈に感じるのは、300年前のコレクションを現在も公開し続けていることから生まれるロシアの強さである。アメリカ文化では、物事は常に更新され、古いものは押しのけられていくように感じる。だが、ロシアは古き西欧の歴史的な価値観を基礎としながら、アメリカにも対抗し得るスケール感でロシアで育まれた文化を守っている。つまりロシアは、グローバリズムから遊離し、異形の未来を体現していると思うのである。
もちろんここでは、人体標本を通して謎の国ロシアを覗いてみようとしているだけである。それでも、グローバルな現代感覚とは外れた医学標本をこれほど堪能できる場所が、ロシアにあるということに、特別な興奮を覚えてしまう。そういう意味で、ロシアはメチャクチャ面白いのである。
[基本情報]
クンストカメラ
KUNSTKAMERA
Peter the Great Museum of Antropology and Ethnography
Saint-Petersburg, Universitetskaya Embarkment, 3.
TEL (812) 328-08-12 / (812) 328-14-12
http://www.kunstkamera.ru/en/
筆者近刊『CRAZY TRIP 今を生き抜くための“最果て"世界の旅』(三才ブックス)