ローマのカプチン修道会納骨堂~写真/IL FASCINO DEGLI INTELLETTUALI より
現在もヨーロッパ各地に多数のカタコンベ(納骨堂)が残されている。その規模はまちまちだが、おびただしい数の人骨を用いた装飾が壁面にあしらわれ、大量の頭蓋骨を積み上げたモニュメントが作られている。
写真で見るだけでもひんやりとした不気味な気配が伝わってくる。そういうものに拒否反応がある人には直視することもままならないだろう。
とはいえ、神聖とも悪趣味ともとれるこのような宗教施設は、ネットの時代となった今、新たな穴場の観光スポットとして人気を集めるようになっている。
人間が死すべき運命にあることを信者にはっきりと見せつけるため……
今回取り上げるのは、17世紀に過剰装飾のカタコンベの先駆的な存在となったローマのカプチン修道会納骨堂である。正式には、サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ修道院という。カプチンの修道士たちは、大きな頭巾が特徴の茶色の修道服を着ており、色が似ているという理由から飲み物の「カプチーノ」の語源となっているほど、一世を風靡した存在であった。
ローマの修道会の納骨堂は、1528年から1870年までの約350年間に亡くなった4000人ものカプチン修道士のミイラや人骨によって飾られており、その強烈な印象ゆえに大いに評判となり、のちにヨーロッパ中にカタコンベが広まるきっかけになった。
カプチン修道会における過剰な人骨装飾やミイラ製造への熱狂は、16世紀に始まるプロテスタントの宗教革命に抵抗するカトリック側の対抗宗教革命(1545~1648年)に伴って広まっている。
たとえば、イエズス会創始者の聖イグナチオ・デ・ロヨラは著書『霊操』において、喜びや楽しみという考えを捨て去り、死を熟考して苦しみや悲しみの感覚を高めることを説いている。その影響から修道士たちは人間が死すべき運命にあることを聴衆にはっきりと見せつけるために本物の頭蓋骨を小道具として使っていたともいう。